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2014/07/24

耳嚢 巻之八 一言人心を令感動事

 一言人心を令感動事

 

 文化四五年加州金澤城燒亡(しやうまう)、僅に出丸(でまる)やうの所殘(のこり)て、加賀守も右の處に假住居(かりずまひ)ありけるに、領分の内ある百姓の、此度の燒亡にて國主難儀の儀を歎き、牛蒡(ごばう)二把(は)を持參、獻じ度(たき)由申(まうし)けるを、重き家來其外其事に拘(かかは)る役人、志は奇特なから百姓より直(ぢき)に領主へ右體(てい)の品獻上と申(まうす)儀、例は勿論聞不及(ききおよばざる)事など各(おのおの)申合(まうしあひ)、彼是(かれこれ)論議有(あり)しを加賀守聞(きき)て、夫(それ)は奇特なる事なり、非常の折柄は常の取計ひには難成(なりがたし)、志の處過分至極なり、早く調味せよとて、料理申付(まうしつけ)て其身も食し、殘りあらば有合(ありあ)ふもの寄り集り候ものへもあたへよとありければ、其事を聞(きき)、灰片付(はひかたづけ)に集りし者まで難有(ありがたし)とて給(たまひ)けるが、あけの日より右の趣(おもむき)承(うけたまはり)及び、百廿萬石の村々百姓共、銘々(めいめい)收納物の儀申立(まうしたて)、彼是取集りたる金十七萬兩の由。且領分の内いづれの村なるか、兼て非常の備(そなへ)とて、城築(しろつき)其外(そのほか)異變格別の時は斗枡(とます)にて小判小粒一枡宛(づつ)約候事の由。是等は僞説にも有(ある)べけれど、大家に候得ばあるまじき事にもあらざらん歟。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:なし。

・「文化四五年」西暦一八〇七~一八〇八年。「卷之八」の執筆推定下限は文化五年夏。

・「出丸」本城から張り出して設けられた城の外衛とする曲輪(くるわ)。出曲輪(でぐるわ)。

・「加賀守」底本鈴木氏注に、『加賀中将斉広が正しい。前田氏百二万二千七百石』とある。前田斉広(なりなが 天明二(一七八二)年~文政七(一八二四)年)は加賀藩第十一代藩主。金沢にて生まれ、父重教が弟の治脩(はるなが:第十代藩主。)に家督を譲って隠居した後、生まれた息子であった。寛政七(一七九五)年に実兄斉敬(なりたか)が夭逝したため、代わって藩主治脩の養子となる。寛政九年、将軍徳川家斉より偏諱を授かって斉広に改名、正四位下左近衛権少将・筑前守に任ぜられた後、享和二(一八〇二)年に治脩の隠居により家督を継いで加賀守を称し、同年六月に左近衛権中将に任ぜられた。治世の当初は藩の政治改革を試みたが、大きな効果を挙げず挫折、文政五(一八二二)年に嫡男斉泰に家督を譲って隠居、肥前守を称した。参照したウィキの「前田斉広」には、芥川龍之介の短編小説「煙管」(大正五(一九一六)年発表)では、『金無垢の煙管をモチーフとして、坊主たちと役人たちと斉広(作中では名を「なりひろ」と読んでいる)との心理的駆け引きがユーモラスに描かれている』とある。芥川龍之介フリークの私としては特に附しおきたい。

・「二把」後の分配するシーンから見て、一把が相当な分量であったものと思われる。

・「奇特なから」ママ。

・「斗枡」一斗枡。一斗=十升=百合で現在の一八・〇三九リットル。

・「小粒」岩波版長谷川氏注に『江戸では一歩・二朱などの小型金貨をいう(上方は豆粒状の銀貨)』とある。加賀は関西圏であるから後者の可能性の方が高いか。

・「約候事」底本では右に『(尊經閣本「納候事」)』と傍注する。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 一言(いちごん)が人心を感動せしむる事

 

 文化四、五年のこと、加賀国金沢城が焼亡(しょうぼう)、僅かに出丸(でまる)のような所ばかりが焼け残って、藩主加賀中将斉広(かがのちゅうじょうなりなが)殿も右の所に仮住居いなされておられたところが、領分の内の、とある百姓、

「……このたびの焼亡にて、国主様、御難儀の儀を嘆き悲しみ、牛蒡(ごぼう)二把(わ)を持参致し、これ、お畏れながら、献じとう御座いまする――」

との由、申し出でたるを、重臣・家来その外、献上等の申し出を掌れる役人ども皆、

「……志しは奇特(きどく)乍ら……」

「……その……百姓より直(ぢか)に御領主へと申すは……」

「……そうそう。……しかもまあ、その……かようなる品をば、献上致いすと申す儀は、これ……」

「……如何にも。過ぎし例には勿論のこと……凡そ牛蒡は……聞いたことが御座らぬ……」

なんどと、おのおの申し合い、牛蒡二把に議論白熱して御座ったところが、加賀中将殿御自身のお耳へも入った。

 すると、加賀中将殿、

「それは奇特なることじゃ! 非常の折からは、常の取り計い方では万事は成り難きもの! かの百姓の志しのあるところ、これ、過分至極! 早(はよ)う、調味せよ!」

というご下知なれば、早速に受け入れ、料理申し付け、加賀中将殿も食され、

「残りあらば、この場におる者は申すに及ばず、これより出丸周辺に来ったる者らへも、めいめい与えよ。」

との仰せが御座ったによって、それを聞いて、お城の火事場整理に参じて御座った下々の者も、この有り難き御下賜の牛蒡を食したと申す。

 ところが、その翌日より、この牛蒡献上の一部始終を聴き及んだる、加賀百万石の村々の百姓どもが、一人残らず、めいめいの分に応じたる収納品を上納致したき儀を、これ、申し立てて来たった。その、かれこれ取り集めたる品々、ざっと金子に換算致いても、実に金十七万両に相当する驚くべきものとなって御座ったと申す。

 なお且つ、聴いた話にては、加賀領分の内には――孰れの豊かなる村なるかは存ぜねど――城築(じょうちく)大修理その他御領内に格別の異変のある折りには、かねてよりの非常の備えとしてあったものをおのおのの家が出だいて、一斗枡にて小判・小粒一枡ずつ当村方より納めることを、その村の掟(おきて)として取り決めて御座る由。

 これらは総て偽説のようにも思わるるが、かの加賀百万石の大家にあらるればこそ、必ずしもあり得ぬこととも断ずることは出来ぬことと、言えようか。

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