杉田久女句集 260 花衣 ⅩⅩⅧ
タラバ蟹を貰ふ 二句
大釜の湯鳴りたのしみ蟹うでん
大鍋をはみ出す脚よ蟹うでる
或家の初盆に 四句
うつしゑの笑めるが如し魂迎へ
美しき蓮華燈籠も灯を入るゝ
[やぶちゃん注:「燈籠」「灯」は底本の用字。次句も同じ。]
玄關を入るより燈籠灯りゐし
露の灯にまみゆる機なく逝きませり
出生地鹿児島 五句
朱欒咲く五月となれば日の光り
朱欒咲く五月の空は瑠璃のごと
天碧し盧橘(ろきつ)は軒をうづめ咲く
[やぶちゃん注:「盧橘」はミカン属ナツミカン
Citrus natsudaidai 又はミカン科キンカン属
Fortunella のキンカン類の別名で、食用柑橘類を広く総称する語としても用いられる。ここでは五月の初夏の句で季語は「天碧し」(「盧橘」は実のつく秋の季語)、「うづめ咲く」とあるから初夏に白い花をつけるキンカンである。]
花朱欒こぼれ咲く戸にすむ樂し
風かほり香欒(ざぼん)咲く戸を訪ふは誰ぞ
南國の五月はたのし花朱欒
琉球をよめる句 十三句
常夏の碧き潮あびわがそだつ
爪ぐれに指そめ交はし戀稚く
栴檀の花散る那覇に入學す
島の子と花芭蕉の蜜の甘き吸ふ
砂糖黍かぢりし頃の童女髮
[やぶちゃん注:「童女髮」は「うなゐがみ(うないがみ)」と読んでいよう。]
榕樹鹿毛(かげ)飯匙倩(ハブ)捕の子と遊びもつ
[やぶちゃん注:「飯匙倩」の三文字に「ハブ」とルビする。これは有鱗目ヘビ亜目クサリヘビ科マムシ亜科 Protobothrops 属及び Trimeresurus 属に属するするハブの三角形の頭部が飯を掬う匙に似ることに由来するらしい(英名では西洋の騎士が用いた槍(ランス)に擬えて“lance-head snake”と呼ぶ)が、「倩」の意は不詳(「倩」には「愛らしい口元」とか「はやい」という意があり、この辺りが関係するか? 因みに「飯匙倩」音読みすると「はんし(又は「じ」又は「ひ」)せい」である)。「鹿毛」は本来は馬の毛色の名で、全体にシカの毛色のように茶褐色で鬣と尾及び四肢下部が黒色のものをいうが、ここは蔭に同音のこれを当てて、熱帯の異国風俗を強調したものであろう。]
ひとでふみ蟹とたはむれ磯あそび
紫の雲の上なる手毬唄
海ほうづき口にふくめば潮の香
海ほうづき流れよる木にひしと生え
海ほうづき鳴らせば遠し乙女の日
吹き習ふ麥笛の音はおもしろや
潮の香のぐんぐんかわく貝拾ひ
[やぶちゃん注:これらの句は久女六~八歳の頃の追想吟である。底本年譜によれば、久女は三、四歳までは鹿児島に住み、明治二九(一八九六)年六歳の時、父(鹿児島県県庁の官吏)が沖縄郡那覇県庁へ転勤(他県の県庁職員を転々と転勤するという、こうした人事があったのは少し私には意外である)したのに伴い、一家で那覇に移り、翌明治三十年四月に那覇の小学校に入学したものの、五月には父がまた転勤で当時の日本領であった台湾の南西の嘉義(現在の中華民国嘉義市)に転住、翌明治三十一年には台北に移ってここで久女は明治三十六年に小学校を卒業、上京して東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)附属お茶水高等女学校を受験して合格、入学した(一家は明治三九(一九〇六)年、久女十六歳の時に父が内地転勤となって東京に戻った)。]
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