飯田蛇笏 山響集 昭和十二(一九三七)年 春
昭和十二年
〈昭和十二年・春〉
庭竈家山の雪に燈らしぬ
[やぶちゃん注:「家山」故郷。漢語。]
獏枕わりなきなかのおとろへず
[やぶちゃん注:「獏枕」獏を描いた絵を下に敷いた枕。こうして寝ると悪夢をみることがないという俗信に基づく。新年の人事の季語。]
粉黛のかほおぼめきて玉の春
[やぶちゃん注:「粉黛」は「ふんたい」と読み、白粉と黛(まゆずみ)・化粧、ここでは美人の謂いであろう。]
喫茶房支那樂かけて松の内
落飾の深窓にしてはつ日記
久遠寺
身延山雲ひく町の睦月かな
サーカスの身を賭(かく)る娘が春衣裝
古墳發掘 二句
上古より日輪炎えて土の春
春佛石棺の朱に枕しぬ
花薊露珊々と葉をのべぬ
[やぶちゃん注:「珊々」は「さんさん」で輝いて美しいさま。]
死火山の夜をさむきまで二月空
樹々芽立つさなかの獵家午過ぎぬ
百千鳥酣にして榛の栗鼠
[やぶちゃん注:「酣」は「たけなは(たけなわ)」、「榛」「榛」は音「ハン」、落葉低木のブナ目カバノキ科ハシバミ属 Corylus ハシバミ Corylus
heterophylla var. thunbergii を指すが、実は本邦ではしばしば全くの別種である落葉高木のブナ目カバノキ科ハンノキ Alnus japonica に誤って当てる。この光景はシチュエーションから見て後者と思われる。]
雲ふかき厚朴一と株の芽立ちかな
[やぶちゃん注:「厚朴」は「こうぼく」で本来は生薬の名。この生薬はモクレン亜綱モクレン目モクレン科モクレン属ホオノキMagnolia obovata)又はシナホオノキ Magnolia
officinalis の樹皮を指すが、ここでは樹木本体で、前者であろう。]
雹やみて雲ゆく甌窶蘭咲けり
[やぶちゃん注:「甌窶」は「おうる」と読ませているらしい。諸注は高台の狭い土地とする。「甌」は原義が小さな平たい鉢、「窶」は小さな塚や岡を指す。通常は「おうろう」であるが、小丘の謂いの場合、「ル」という音を持っている。]
歯朶もえて岩瀧かける雉子かな
[やぶちゃん注:「雉子」は「きぎす」と訓じていよう。次の句では「きじ」かも知れないが、私は字余りでやはり「きぎす」と読みたい。]
雉子なけり火山湖の春いぬる雨
[やぶちゃん注:「火山湖」蛇笏の居住地山梨県東八代郡五成村(後に境川村となり、現在は笛吹市)の近辺とすれば、富士五湖か。]
山蘆庭前
蔦の芽の風日にきざす地温かな
[やぶちゃん注:「地温」は「ちをん(ちおん)」で土の温度。]
暮の春奥嶺の裸形ただ藍(あを)し
[やぶちゃん注:「奥嶺」は「おうれい」と読むか。]
赤の浦大嶽山
雹まろぶ大山祇(おほやまつみ)の春祭
[やぶちゃん注:「赤の浦大嶽山」は現在の山梨県山梨市三富上釜口赤の浦にある大嶽山那賀都(だいたけさんながと)神社。人皇十二代景行天皇の頃、日本武尊の東征の際、甲武信の国境を越える折りに神助を受けたことから、神恩奉謝の印として国司ヶ岳の天狗尾根に佩剣を留め置いて三神を祀った(現在の同神社奥宮)ことを起源とし、天武天皇の頃、役行者小角が当山(現在の社地)の霊験あらたかなるを以って修験道場として開山した。その際、山が昼夜連日鳴動して止まなかったことから、「大嶽山鳴渡(なると)ヶ崎」と呼ぶようになった。 天平七(七三五)年には行基が観世音像(昭和二五(一九五〇)年に流失して現存しない)を刻し、「赤の浦鳴渡ヶ崎に那留(なる)神のみゐづや高く那賀都とは祈る」という神歌を奉じて、是より「那賀都神社」と称するようになったと伝えられている。養老元(七一七)年には最澄が、天長八(八三一)年には空海が相次いで来たって、清浄(しょうじょう)ヶ滝・座禅岩、下流川浦に絵書石等の行跡(ぎょうせき)を残した。江戸初期に一時、大破して小祠となったが、元文五(一七四〇)年に再建のために羽黒派修験東叡山支配となり、社殿が建立された(以上は「大嶽山那賀都神社」公式サイトの由緒に拠る)。]
山廬端午
軒菖蒲庭松花をそろへけり