耳嚢 巻之八 奇子を産する事
奇子を產する事
文化五年の夏原田翁語りけるは、麹町邊の由、町人の女房、血(けつ)くわいを煩ふて暫くなやみけるが、或日頻りに腹痛いたし苦しみける。夥敷(おびただしき)血を通じ、右血は綿の如く玉の如くかたまりし。其數多通じける内、何かうごきてはひ出るものありしを、夜伽なる老女、其婦人の驚かんを恐れて、いそがしきに紛(まぎれ)、服紗(ふくさ)やうのものに包みて、ふとんの下に押入(おしいれ)て、さて婦人を介抱して病氣は快(こころよ)かりしに、醫師の來りけるとき別間にて其容體を聞ける時、彼(かの)老女右怪物を產(うみ)しを語り、扨よく洗ひて見しに僅に二寸許りの物なりけるが、人體聊(いささか)かわる事なく、五體そなわらざる處なし。誠に奇成(きなり)とて、右の醫師是をもらひて、人にも見せける。其人の名もしれけれど、隱してかたらざりしが、右の譯森見隆の弟子某療治なし、德田長伯も右出生の品見候由、見隆の語りしとなり。
□やぶちゃん注
○前項連関:奇形児(但し、この場合は血塊の中から超未熟児ながら五体を完全に保持した胎児が見つかっているから所謂、「ブラック・ジャック」のピノコのような奇形嚢腫(teratoma テラトーマ)とはちょっと違う感じがする)出産の事実譚と見てよいが、世間では一種の妖怪や怪異として捉えていたから(ウィキの「血塊」を参照)、可哀そうな話であるが、怪異譚としての連関的な猟奇的興味で根岸は記載しているようには思われる。
・「血くわい」血塊。岩波版長谷川氏注に、蘆川桂洲(あしがわけいしゅう)著「病名彙解」(貞享三(一六八六)年序)に『婦人ノ瘀(ヲ)血結聚シテ塊トナルコト也』とある。「瘀血」は漢方でいう鬱血や血行障害を指し、特に夫人の場合は「血の道」、月経不順を指す。
・「文化五年の夏」「卷之八」の執筆推定下限は文化五(一八〇八)年夏であるから、まさに直近の出来事である。
・「原田翁」実は後掲される「巻之九 棺中出生の子の事」の底本の鈴木注に、『種芳(タネカ)。安永七年(四十八歳)家督、廩米二百俵。天明元年小十人頭より御広敷番頭に転ず。根岸鎮衛にくらべれば役職の点ではずっと低いが、年長であるので、大事にしている様子が見える。年齢のみならずこの人の人柄もよかったのであろう』と記されてある人物である。
・「二寸許り」六・〇六センチメートル。
・「森見隆」医師であるが不詳。
・「德田長伯」医師不であるが詳。
■やぶちゃん現代語訳
奇怪な子を出産した事
文化五年の夏、原田翁が語ったことである。
麹町辺りの出来事とという。
町人の女房が、血塊(けっかい)に罹って、永く患っていた。
ある日、激しい連続した腹痛を訴え出し、ひどく苦しみ出した。
すると暫くして、夥しい出血が起こったが、その出血は綿の如く、玉の如くに固まった状態となった。
その出血量は相当なもので、一つの塊を成すまでに持続したが、夜の看病に雇われて付き添っていた老女が、その血塊をふと見てみると、その中に、奇体にも何か、動いて這い出そうとするものがあるのを認めた。
老女は病人が驚くことを恐れ、また、婦人があまりに苦痛を訴えるゆえに、介抱の忙しさもあって、婦人の眼に触れぬよう、素知らぬ振りをしながら、そばにあった服紗(ふくさ)のようなものにさっと包んで、布団の下へと急いで押し入れたという。
さて、そのまま普通に婦人を介抱し続けてみると、病態はみるみる快方へと向かった。
そこで呼ばれた医師が往診に参った際、病室と隔てた別間にて、婦人の容態を医師が訊ねた折りのこと、この老女はかの怪物を産んだことを小声で語り、既に蒲団の下から引き出しておいたかの「もの」を医師に見せた。
医師が受け取って、こびりついた汚血などよく洗い流し、観察してみたところが、僅かに二寸ほどの大きさではあったものの、これ、人体と聊かも変わったところのないもので、五体も具わっていない部分は全くない。
その医師、まことに奇なる出産と胎児であるとして――無論、老女には当の婦人や家人にも一切その事実を告げぬように命じた上で――これを貰い受け、人にも見せたとのことである。
かの医師は、その奇体なる子を産んだ婦人の名も無論知っているのであったが、秘して語らなかったという。
この話に出る療治を担当した医師というのはかの知られた医師森見隆(もりけんりゅう)の弟子の某(なにがし)で、やはり名医として名高い徳田長伯(とくだちょうはく)も、その異常出生によって生まれた胎児の実物を某から見せられたと師見隆が語って御座った、とのことである。
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