金魚 山之口貘
金魚
笑いなさんなと さも言いたげな
おどけ顔の
くろんぼデメキン
白に黄に黒や青などの
色とりどりを身に染めて
すまし顔のシュブンキン
ながい尾びれもあでやかに
夢追い顔のリユーキン
一度はお目にかかってみたいのが
オランダシシガシラにランチエウで
今夜は顔見知りの金魚ばかりだ
みんな口をぱくぱくなので
アイスクリームが
ほしいんじゃないのかいと
そばの弟に言ってみるのだが
自分がほしいんじゃないのかいと
金魚のかわりに弟が笑った。
[やぶちゃん注:初出は昭和三一(一九五六)年七月号『中学生活』(小学館発行)。以下、一応、グーグル画像検索を掲げておく。
『くろんぼデメキン」』→「黒出目金」(クロデメキンで掛けるよりもこちらの方が生体個体写真が多いため)
「リユーキン」→「リュウキン」
個人的にはどうも金魚は好きになれない。特に最後の二品種などは私には奇形にしか思われない。因みに金魚が出る名詩といえば、
水中花 伊東靜雄
水中花と言つて夏の夜店に子供達のために賣る品がある。木のうすいうすい削片を細く壓搾してつくつたものだ。そのまゝでは何の變哲もないのだが、一度水中に投ずればそれは赤靑紫、色うつくしいさまざまの花の姿にひらいて、哀れに華やいでコツプの水のなかなどに凝としづまつてゐる。都會そだちの人のなかには瓦斯燈に照しだされたあの人工の花の印象をわすれずにゐるひともあるだらう。
今歳水無月のなどかくは美しき。
軒端を見れば息吹のごとく
萌えいでにける釣しのぶ
忍ぶべき昔はなくて
何をか吾の嘆きてあらむ。
六月の夜と晝のあはひに
萬象のこれは自ら光る明るさの時刻。
遂ひ逢はざりし人の面影
一莖の葵の花の前に立て。
堪へがたければわれ空に投げうつ水中花。
金魚の影もそこに閃きつ。
すべてのものは吾にむかひて
死ねといふ、
わが水無月のなどかくはうつくしき。
これに尽きる。]