掌と人工衛星 山之口貘
掌と人工衛星
わんと云へば
わんと云ひ
お坐りと云ふと
お坐りをして
懸命にしつぼを振つてゐるあなた
ついこの間のことあなたの仲間がひとり
夢みたいな機械のなかに閉ぢ込められて
はるか地球の彼方に旅をしたらう
そのことについて
あなたはどうおもつてゐるか
あなたはそこにゐてしつぽを振つてゐるが
ほくおせんべいなんか
持つてゐやしないよ
わんわん云つても無駄なんだよ
これこの通りだ
なんにも持つてゐやしないよ。
[やぶちゃん注:初出未詳。未発表か。内容から昭和三二(一九五七)年十一月三日以後、それからほど遠からぬ頃の創作と推定される。
ウィキの「スプートニク2号」(ロシア語“Спутник-2”:「スプートニク」は「付属するもの」の意から「衛星」「人工衛星」の意となったもの)によれば、ソビエト連邦が一九五七年十一月三日に打ち上げた人工衛星で世界初の宇宙船(イヌを乗せたことから)で、『この成功により有人宇宙船の可能性が開けるものとなった』。前月十月の『スプートニク1号に続くスプートニク計画における2つめの機体である。円錐の形状をしており、ライカという名称で知られるイヌ』(メスの野良犬であった)『が乗せられていた』(「ライカ」は犬のニックネームで犬種ではない。後述)『スプートニク2号はライカを乗せるために宇宙船として気密が保てるようになっており、内部に生命維持装置が付けられていた。地上への帰還は当初より考慮されず、大気圏に再突入し安全に着陸するための装備はなかった。計画では必要な酸素が尽きる10日後にライカは死ぬだろうと考えられていた』。『衛星は無事に軌道に投入されたものの、ロケットから正常に分離されず、結合したままとなった。これに加え断熱材も一部損傷し、熱制御が妨げられた。船内の温度は40℃にまで上昇した』。『ライカが実際にどれだけ生きながらえたかは正確には分かっていない。初期のデータではライカが動揺しつつも食事を取る様子が伺われた。その後は上記の熱制御の問題で異常な高温に晒されたため、1日か2日程度しか持たなかったと考えられている』。『スプートニク2号からの通信は11月10日に途絶え、更に打ち上げ162日後の1958年4月14日に大気圏に再突入し消滅した』とある。
ウィキの「ライカ」によれば、実はこの時この衛星に載せた犬の「ライカ」というのはその雌の野良犬に実験者たちがつけた名前であるとする。私も今日まで誤解していたのだが、これは犬種名ではないそうである。西側で「ロシアン・ライカ」と呼ばれるロシア原産のスピッツ・タイプの犬種は存在するものの、スプートニクに載せた犬はスピッツ・タイプではあったが、「ロシアン・ライカ」種ではないそうである(この部分についてはウィキの「ロシアン・ライカ」に拠る)。
以下、重複する部分もあるが、ウィキの「ライカ」の記載も引用しておく。『1957年11月3日、ライカを乗せたソ連のスプートニク2号はバイコヌール宇宙基地から打ち上げられ、地球軌道に到達した。それ以前にも米ソが動物を宇宙に送り出していたが、弾道飛行のみで軌道を周回するまでは至っていなかった』。『実験にオスではなくメスの犬が選ばれたのは、排泄姿勢の問題からである』。『スプートニク2号は大気圏再突入が不可能な設計だったため、1958年4月14日、大気圏再突入の際に崩壊した。ライカは打ち上げから10日後に薬入りの餌を与えられて安楽死させられた、とされていた』。『しかし、1999年の複数のロシア政府筋の情報によると、「ライカはキャビンの欠陥による過熱で、打ち上げの4日後に死んでいた」という。さらに2002年10月、スプートニク2号の計画にかかわったディミトリ・マラシェンコフは、ライカは打ち上げ数時間後に過熱とストレスにより死んでいた、と論文で発表した。ライカに取り付けられたセンサーは、打ち上げ時に脈拍数が安静時の3倍にまで上昇したことを示した。無重力状態になった後に脈拍数は減少するも、地上実験時の3倍の時間を要しストレスを受けている兆候が見られた。この間、断熱材の一部損傷のため、船内の気温は摂氏15度から41度に上昇し、飛行開始のおよそ5~7時間後以降、ライカが生きている気配は送られてこなくなったという。結論としては“正確なところはわからない”ということである』とある。
本詩は詩句表現からは中学生向けの少年詩のように見えるが、私には何かひどく強い衝撃を感じさせる大人への詩のように感じられてならない。……
……小さな頃、私と同じ年の「ライカ」ちゃんは「むごたらしく」安楽死させられたのだと、私もその報道を残酷だなあと思いながら信じきっていた……いいや、事実は、もっといい加減で、もっと残酷だったのだ……バクさんは、この時、もうそれを、敏感に嗅ぎとっておられたのかも知れないなぁ…………]