耳嚢 巻之八 桑の都西行歌の事
桑の都西行歌の事
八王子を、桑の都と土俗申(まうし)習はしけるは、玉川を越してあざ川と云ふ小さき川ある邊なる由。絶景の土地なり。富士をもよく見る所なり。西行の歌なりとて、故老の申傳へしは、
字(あざ)川をわたれば富士の雪白く桑の都に靑嵐たつ
いかにも氣性ある歌なれど、いづれの集にも見へずと、是雲といへる法師の語りぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:なし。西行伝承譚。和歌嫌いの私には退屈である。ウィキの「八王子市」に、『後北条氏および徳川氏から軍事拠点として位置づけられ、戦国時代には城下町、江戸時代には宿場町(八王子宿)として栄えた。明治時代には南多摩郡の郡役所所在地となり、多摩地域内で最も早く市制施行した。かつて絹織物産業・養蚕業が盛んであった為に「桑の都」及び「桑都(そうと)」という美称があり』、『西行の歌と伝えられてきた「浅川を渡れば富士の影清く桑の都に青嵐吹く」という歌もある』とある。
・「あざ川」「字川」浅川。現在の東京都八王子市及び日野市を流れる多摩川の支流の一つ。
・「是雲」「耳嚢 巻之八 雀軍の事」の法螺話に出る。比較的新しい根岸の情報屋である。
■やぶちゃん現代語訳
桑の都西行の歌の事
八王子を「桑の都」と土俗が言い習わすのは、多摩川を越して「あざ川」(浅川)という小さなる川がある辺りを狭義には指す由。
絶景の土地で、富士をもよく見える所である。
西行の歌であるとして、故老の申し伝えている和歌には、
字(あざ)川をわたれば富士の雪白く桑の都に青嵐たつ
とある。
「……まあ、いかにも西行らしい和歌では御座るが、孰れの集にもこれ、見えませぬ。」
と、是雲と申す知れる法師が語って御座った。