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2014/07/04

耳嚢 巻之八 幽魂其證を留めし事

 幽魂其證を留めし事

 

 白川の藩中と人の咄しけるが、しかと其實はしらず。何れ奧州の在邊に、壹人の貧醫ありしが、夫婦の中に姉妹の娘を得、姉妹共に絶世の美人といふ内、妹の方分(わけ)て冷艷なりしゆゑ郡中の(評判)あふ方ならず。姉は右容儀能(よき)を以て家中侍以上の人の妻となりぬ。しかるに是も同家中にて番頭(ばんがしら)なせし者、其妻を失ひしに、繪(ゑか)く事好みて是をなぐさみとして日を暮しけるに、心安きをの子ありて物語りして、若き身すがら獨寢せんも如何なり、後妻なりと側妻なりと求め給へなどきこえしに、彼男聞て、左(さう)もせんずれど相應のものもあらばといひしが、聞(きき)も及給(およびたま)はん、在郷なれどしかじかの醫師の娘あり、是を呼びむかへんや、先(まづ)其女見給へとて野行(のゆき)に托して、兩人打連れて彼醫師のもとを中宿(なかやど)りとして見せけるに、實(げ)にも絶世の美人なれば男もしきりにのぞみしかば、媒(なかだち)せる人より彼醫師にかたりしに、心安く承知せしが、藩中にもれきれきたる身分ゆゑ同役へ談じけるが、田舍醫師の娘とありては不都合なれば、是非とならば、まづ夫(それ)となく追(おつ)て妻にも極(きはめ)あれといひしゆゑ、其譯媒より醫者へ語りければ、歴々の妻たらんは、なる程我身を里にしてはいかゞならん、當分は側室ともなして過て妻とせんは、其身の仕合なればと得心して嫁し行ぬ。しかるに、彼姉の嫁したるおのこ派振(さま)よく勤てあつぱれの立身なしければ、一族傍輩寄りつどひて祝しけるに、其あくる年又立身して重き役儀になりしを、何れもまた打寄りて酒に興じて、此亭主はかく年毎に出世し、あやかりものなり、げにも才力ありて手柄なる事なりと稱しけるに、客の内壹人、我は羨しからず、此亭主の妻なる妹は、當家の番頭なせる何某が妻にて、彼是の内緣取持ゆゑに立身もせしと聞くと、醉興の儘申けるも、左ありけるかなど云者も有しを、物蔭にて亭主聞て、其座席は事もなく酒も濟て各祝ひ述て歸りしが、其夜亭主妻にむかひて、汝も聞つらん、御身の妹むこ今權勢の職にある故我ら立身せしと、雜談せる人あり、定めて家中に斯(かく)評判すればなり、我何ぞ緣者によつて昇進をせん、何分一分難立(なにぶんいちぶんたちがたし)、御身にあやまりもなく、飽(あき)もあかれもせざれども、外聞には難代間(かへがたきあひだ)、離別なすべし、若(もし)其趣意立(たつ)事あらば歸緣もなすべしとありければ、妻も尤の道理に伏して、彼(かの)在醫の方へ立歸りぬ。父其子細を尋(たづぬ)るに、かくかくの事なりと述(のべ)ければ、是を聞て、かゝる事もあるべき事なり、妹は側妻の姿なれど、追て妻にも表向申立(まうしたつ)る約束なれ、我行(ゆき)て取計(とりはからふ)事ありと、仲人の彌一(やいち)誘ひて彼番頭なる方へ至り、さて妹娘(いもうとむすめ)は追て表立(おもてだちて)妻になさんとの約定(やくぢやう)なりしが、出生(しゆつしやう)までありて最早一年をかさねぬ、依之(これにより)早々右の願ひ差出(さしだ)し給ふか、左もなくは離緣なし給へ、右には難立(たちがたき)譯ありと語りければ、番頭せる男も、右は子細なき事にて、子まで有中(あるなか)なれど、急に今願(ねがは)んやうもなしとて仲人ともども利害のべけれど、彼醫師何分義理難立迚せつに申ける故、妻もいさい親の物語きゝてせんかたもなく、仲人うち連(つれ)て宿へかえり、扨姉の夫の方へ妹は離緣して取戻しぬると申(まうし)ければ、しかれば元より子細なしとて歸緣なしけるが、しかるに彼醫者の妻は後妻にて、二人の娘も繼子なるが、心よからぬ繼母なるに、素より淸貧の醫者なれば、彼妹娘はうつうつと煩出しけるとなり。しかるに彼番頭なるおのこ、小兒を見又彼妻の事思ひつゞけ日をふるに、さるにても不便(ふびん)の事なり、しかれども未練にも彼醫師のもとへ尋んもうるさければ只うつうつと不樂(たのしまず)。ある時に座敷の窓のもとに兼て好める繪を書(かき)て、さるにてもあかで別れし妻はいかゞなしけるや、不便の事なりと、燈下に手を組(くみ)て夢を結ぶと思ひしが、窓の障子さらさらと明けて顏を出すを見れば、別れし妻のかわらぬ姿にて夫の手を取りつくづくと見ければ、夫も流石に武夫(ぶふ)にて又かれが腕を捕へしげしげと見しに、女はもの云事もなし。男いへるは、汝女の身として夜分一人何故に來りしや、全夜狐(まつたくやこ)の我心鬱(わがしんうつ)を見こみ來るならん、世にはさる事あれ、我何ぞ狐狸の爲に誑(たぶらかさ)れんや、若(もし)誠我(わが)別れし妻なれば何ぞしるし持來(もちきた)れと云て、手を放しければ消失(うせ)ぬ。其後四五日過(すぎ)て、又候(さふらふ)先(さき)の窓のもとにありしが、例の如く障子を明(あけ)て内へ入る者あり。いかなる者と見れば彼離別の妻なり。此度は先にかわりて髮も亂れ色靑ざめ、此代(このよ)の人とも思はれぬ體にて、胴のあたりはた脇腹のあたり血しほしたゝりて、見るも哀れなるが、懷より我子の小袖ひとつ出して、是は我等里へ戻る時、御身の物、和子の物は殘し置、我身の品のみ持歸(もちかへ)りしが、外(ほか)包の内へ此品まぎれ入(いり)たり、印をとのたまふゆゑ持來れりと、我身のはかなき事物語りて消失ぬるを、繪がける事にくわしかりければ、其姿を丹靑にいろどりて書寫(かきうつし)ぬ。さて有(ある)にあらざれば彼菩提所尋ねて和尚にしかじかの亡者來りしやと尋(たづねし)に、成程送り來れり、變死なるや、又病死成哉(なるや)を尋ねしに、夫(それ)は知らず、變死とも思はれぬ由をいゝしゆゑ、今は何をか包(つつつま)ん、かくかくの事なりと、厚く追善供養して給はれと、布施物あたへけるに、此事はゆるし給はるべし、我等も此施主と旦緣ありて懇意なる故厚く弔ひしが、我未熟の法力にてはうかまれ(ね)ばこそ、かゝる奇談も聞(きく)。爰より何程の道を隔(へだ)て道德の僧有れば、是を賴み給へと差圖(さしず)し、彼寺において法會修行なせしとなり。かの寫せし繪を、右兩寺の家内其外見たる者は、いづれも熱病を煩ひし由。しかれども藥をあたへて、何れも快全せし由。其跡のはなしは不聞(きかざる)故、何故熱病を煩しといふ譯もしれねど、聞(きく)まゝを爰に記しぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:特にないが、先の先祖墳墓の発見がやや超自然の怪異を匂わせていたものが、寺や叙述の背後に透き見える墳墓、そうして久々の本格怪談物という部分で不思議に連続性を感じさせる仕立てとはなっている。但し、このやや長い怪異譚は何とも構成上の不首尾を持っている。例えば、妹娘の離縁を語る前半は姉娘の幽魂の出現という後半の核心部を引き出すに必要条件とはなっていない。寧ろ、妹の話は伏線としても機能していないのみならず、読み終えた後に怪異性にしみじみする前に妹の話は何だったのかと首を傾げざるを得ないという逆効果を齎してしまうからである。事実だから仕方がない、というのであれば、相応のリアリズムとは言えようが、だとしてもだらだらした前半はもっと端折ってよかろう。この噂話、私は、前半の姉と妹の話は事実としてあったもの、後半の怪異譚は全く別な幽霊画伝承の話柄がここに強引にカップリングされてしまったもの、という風に私は読む。特に後半に唐突に出現する「心よからぬ儘母」が昔話の古形そのままの〈継子いじめのモチーフ〉そして〈兄弟兄妹の末子のみが過酷な若しくは数奇な運命を背負うというモチーフ〉を話柄に乱暴に投げ込んでしまっているからである。そもそもがこの継母は話柄の初めに登場していなくてはおかしいのである。そうして「二人の娘も儘子」である以上、短い間であっても話柄の前半で出戻った姉に対するいじめがあったに違いない(この妹の死はその死霊の様態から見て明らかに変死であり、それは間接どころか直接に継母から受けた虐待によるものを強く感じさせるように描かれているから、姉にもむごたらしいいじめがあったと考えぬ訳にはいかない)のにそれが描かれない(どころか継母の存在自体が語られない)のはどう考えてみてもおかしい(現代語訳ではその違和感を払拭するために一部に手を加えた。悪しからず)しかも話柄の後半にはあんなに苦労して語った姉の存在が一切必要なくなってしまうというのも著しい違和感を覚えさせるのである。恐らくはこの話を結合した好事の張本人にはホラーを創作するだけの才能が致命的に欠けており(彼の前半への加筆は恐らく「妹の方分て冷艷なりし」と「繪く事好みて是をなぐさみとして日を暮しけるに」の二箇所の伏線ぐらいなものである)、そこに後半、無理矢理古形の昔話伝承のモチーフを押し込んだため、リアリズムのも糞もなくなってしまい、おまけにホラーとしても凡作に堕したというのが真相なのではあるまいか? また、最後の部分に妙にリアルな祟りの熱病と施薬の記事が唐突に出るのも気になる。この後半部の原話では実はここでその処方をしたのが、その父医師であり、その名も記されてあったのではあるまいか? 謂わば、それは元、この医師伝家の秘薬の販売を宣伝するものででもあったのかも知れない――などと勘繰ってしまう。ともかくも電子化していても各所にぎくしゃくした違和感が付き纏い、訳す前から、逐語的には何の問題もないものの、どうも訳しづらい、と感じた話柄である。さすれば全体に一貫性を持たせるための部分的な翻案部を追加してあるので注意されたい。

・「白川の藩」陸奥国白河郡白河(現在の福島県白河市)周辺を知行した白河藩。「卷之八」の執筆推定下限は文化五(一八〇八)年夏で、当時の第三代藩主はかの松平定信であった。

・「郡中の(評判)あふ方ならず」底本では本文「(評判)」は右に『(尊經閣本)』で補った旨の傍注があり、さらに「あふ方」の右には『(大方)』と傍注する。

・「番頭」ウィキの「番頭」の「諸藩の番頭」から引いておく。諸藩に於ける番頭は、『平時は警備部門の内で最高の地位にあるものを指し、戦時には備の指揮官となることが多い。また、警備部門(番方)の家臣が、藩主に具申したいことがある場合、藩主に取り次ぎをすることもあった。この職権を持つ家臣は、番頭ではなく侍頭・組頭と呼称される藩もあった。組頭と番頭の二つの役職が存在する藩にあっては、どちらが格上かは一義的に断定はできないが、番頭のほうが格上なことが多い。しかし、組頭が侍大将であり、騎馬組などの馬上の武士団を預けられている場合は、番頭より格上なこともある』。『江戸時代中期の赤穂藩、浅野家のように組頭の奥野定良(松の廊下刃傷事件のとき、数え55歳)が、父が家老職であったとはいえ、並みの家老より格段に石高が多く、城代家老・筆頭家老の大石良雄の1500石に次ぐ、藩内二番目の1000石を給付されていた。奥野定良については、番頭とする分限帳も存在するため、同藩では番頭と組頭は同じ意味で使用されていたものと思われる』。『番頭の実質的な藩内の力を見極めるには、番頭の家禄・役高のほか、番頭が番方からの藩主に対する取次権や人事の具申権を持っているか否かが重要である。番頭の諸藩における地位は、厳密にはまちまちであり、家老、年寄・中老に次ぐ重職であることもあれば、用人より格下のこともある。しかし、藩内における番頭の序列に一定の傾向が存在することは明らかである。小さな藩や職制が簡素な藩では、家老に次ぐ重臣が用人となる。小藩では用人が家老の全般を補佐するので、番頭よりも用人の身分が高くなる。他方、大きな藩では、家老と用人の中間に年寄・中老をはじめ、さまざまな家老を補佐する役職があるので、用人の役目は相対的に低くなり、特命事項や庶務的なものとなるので、用人は番頭より格下となることもある。小さな藩では、番頭・江戸留守居役、及び公用人がおおむね同格の藩もあれば、番頭のほうが格上の藩もある。番頭より江戸留守居役、公用人のほうが格上ということは少ない。大きな藩では、江戸留守居役、及び公用人より番頭のほうが格上である。番頭は、物頭(者頭)、給人より格上であることは諸藩に共通である』。『しかしながら藩主への取次や具申という役割では用人と変わらないためか、財政難が進む江戸時代後期になると番頭が用人を兼務する藩も登場し、なかには熊本藩細川氏家中や岡山藩池田氏家中、姫路藩酒井氏家中のように「番頭用人」というひとつの役職として江戸武鑑に掲載される場合もある』。『幕府の役職に相当する小姓組番頭や書院番頭は、諸藩にあっては番頭よりやや格下であり、小姓組組頭・書院組頭と呼称されることが多く、小さな藩にあっては、番頭がこれらの役目を兼帯していた。大雑把に言って、諸藩にあって番頭は「上の中クラス」以上の家格の者から選ばれている』。『太平の世では、家柄が重んじられて任命された。泰平の世では、一般論として、能力がなく家柄が高い武家を、番頭をはじめとする番方の幹部にしたとする指摘もある。しかし越後長岡藩のように一部の藩では奉行・用人などの功労者の中で、一定の筋目を持つ有能な士を名誉職的な意味合いで、番頭に抜擢することもあった』とある(但し、最後の部分は要出典要請がかかっている)。ともかくも本文にある通り、姉が嫁いだ「侍以上」の「藩士」などとは比較にならないほどの、「藩中にもれきれきたる身分」の者であったことが分かる。

・「中宿り」旅や外出時の一時の休息所。

・「派振(さま)よく」は底本のルビ。

・「仲人の彌一(やいち)」「やいち」は私の推定読み。このように唐突に不要な固有名詞が出る辺り、前半部の話柄が事実譚を原形にしているからだと私は思う。

・「右は子細なき事にて、子まで有中なれど、急に今願んやうもなし」という番頭なる夫の弁解はよく意味が分からぬ。所謂、相当の家格の家と一度、この妹娘を養子縁組するというような仕儀が上手くいかず、困っている最中ででもあったのかも知れない。そう現代語訳では敷衍訳して自然な感じにしておいた。

・「夜狐」底本では「夜」の右に『(野)』と訂正注を附す。

・「うかまれ(ね)ばこそ」底本では本文「(ね)」の右には『(尊經閣本)』で補った旨の傍注がある。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 幽魂がその証(しるし)を留(とど)めおいた事

 

 白河藩の中でのこととして、人の話したことで御座ったが、これ、確かな事実かどうかは定かではない。

 ともかくも、奧州の田舎に一人の貧しい医師があったが、その夫婦、姉妹の娘を得て、またその姉妹ともに絶世の美女で御座って、分けても、妹の方(かた)はこれ、ぞっとするような艶っぽさであったによって、郡中での評判も、これ、大方ならぬもので御座った。

 この姉妹の母は、その後(のち)、ふとした病いで他界したと聞く。

 さても姉の方は年上なればこそ、かくも容姿もよきを以って、御家中の侍以上の御仁の妻となって御座った。

 さて、ここに同御家中の者にて番頭(ばんがしら)を勤むる者が御座ったが、その男、若妻を病にて失って御座った。

 絵を描くことを好んだによって、ただただ、これをのみ慰みとして日々暮しておったが、心安くしておる友の来たって物語りするに、

「――若き身にて、かくも独り寝せんも如何なものか? 一つ、後妻なりと妾(めかけ)なりと求めなさるがよかろうぞ……」

などと慫慂致いたところが、かの男もそれを聞くと、

「……そうしようかとも思うてはおるが。……まあ、相応の者もあらばのぅ……」

と口を濁したによって、

「いや! それ、聴き及んでもおられよう。在郷の者なれど、しかじかの美人の誉れ高き医師の娘子(むすめご)が御座る! これを一つ、呼び迎えては如何じゃ? まずはその女人を垣間見せん!」

と、直ぐに物見遊山にかこつけ、両人うち連れて、かの医師のもとを休み所としてそれとのぅ、かの鰥夫(やもめ)に家内におる妹娘(いもうとむすめ)を見せた。

 さればこれ、実に絶世の美人にてあればこそ、男もすっかり気に入って、しきりに縁組みを望んだによって、媒(なかだち)を頼んだ弥一(やいち)という者より、かの医師に語ったところが、医師は二つ返事で請けがった。

 ところが、この鰥夫は藩中にても番頭として歴々たる身分の者で御座ったによって、同僚に相談致いたところが、

「……貧乏田舍医師の娘とあっては……これは……やはり不都合なことじゃのぅ……まあ、是非貰い受けんとならば……そうさ、まずはそれとなく、家中に奉公させる形をとり……側室となし……追ってよき頃を見計ろうて……どこぞの家格の養女にも成すなど致いて……正妻として迎えると決せらるるが、よろしかろうぞ。」

との助言を得たによって、そうした事情を媒の弥一より医師へと相談致いたところが、父医師も娘に向かい、

「……御歴々の妻たらんとするは、なるほど、我が身の如き貧家を実家と致すこと、これ、不都合にて御座ろうほどに。当分の間は奉公人から側室ともなして戴き、しばらく経って後、相応の御処置を以って正妻として下さるとのことじゃ。これ、そなたの身にとっても、幸せなことにて御座ろうと思うが?」

と語り、娘も得心致いて嫁して行った。

 嫁してじきに子も産まれた。

 ところが、それから一年ほど後のことで御座る。

 かの姉の嫁したる藩士、これ、なかなかに人望や才覚もあり、精勤致いて、大した立身出世をなしたによって、一族朋輩、寄り集(つど)って祝った。

 さても、その翌年も、これまた昇進致いて重き役儀に就いたによって、孰れの者もまたうち寄って酒に興じ、

「いや! ここの亭主はかくも年毎(ごと)に出世致す! 我らもあやかりたい幸せ者じゃ! まっこと! これ! その確かなる才力の手柄と申すものじゃて!」

と口々に賞賛致いて御座った。

 ところがその客内の一人の酔客が、それを聴くと、

「……我らは別に羨しいとは思わぬゎ……ここの亭主の妻なる者の妹子(いもうとご)は、当家の番頭をなさっておらるる〇〇殿の妻にて御座って、の……そうした内輪の人脈の取り持ちが御座るゆえに、立身、出世もなさるという訳じゃ……」

と酔うた勢いで思わず口を滑らせたところが、

「……そういうこと……か……」

などと得心して、頻りに首(こうべ)を縦に振る酔客などもあった。

 これを、物蔭にて亭主が聴いて御座った。

 ともかくも、その日その席は、亭主も終始、快活に振る舞い、ことものぅ、酒も済んで、各々は改めて祝いの言葉を述べ、散会致いた。

 ところが、その夜のこと、亭主は妻に向い、

「……そなたも聴いたであろう。……御身の妹婿は、今、権勢の番頭の職にあらるる。……『ゆえに我らは立身した』と、今日の昼つ方、祝いの席にて雑談致いておった者の言のあったを。……あの口振りは……定めて既に、御家中にては、かく広く秘かに評判しておるからに相違ない。……さすればじゃ!……我ら! どうして縁者なんどのお蔭にて昇進など致そうものかッ!……されど、そのような風聞の已にして広まりつつあると申すは……何分……武士の一分(いちぶん)、これ立ち難し!……御身には、これ、誤りもなく……また……飽きも飽かざれもせざれど……外聞には代え難きによって……我ら、そなたに離別を命ずる!……もし、この我らが趣意の雪(すす)がるる時が来たったならば、きっと再縁も致そうぞ。……」

との仰せのあったによって、妻も、

「……尤もなる道理に……御座いまする……」

と命に服して、翌朝、かの在郷の父医師方へと立ち帰った。

 父がその離縁の子細を訊ねたところ、かくかくのことにてと姉娘(あねむすめ)の述べたを聴くと、

「……そのような仕儀も、これ、あって当然のことじゃ。……妹は側女(そばめ)の形をとってはおれど、追って正妻にも公(おおやけ)に申し立つるとの約束であったればこそ!……我ら、行きて掛け合ってみよう!」

と、かの仲人の弥一を誘うと、直ぐにかの番頭なる方へと至り、

「――さて、我ら妹娘(いもうとむすめ)儀、追って表立って妻になさんとの約定(やくじょう)にて御座ったが、孫の出生(しゅっしょう)までもあって、最早、一年を重ねて御座れば――これによって、早々に、かの願いを公に差し出し下さらぬか?――もし、それが出来ざるとならば、遺憾ながら――娘とは離縁なし給え。これをせずんば、立ち行きがたき仔細が御座ればこそ……」

と、切に乞うたところが、番頭せる男も、

「……その儀は……これ……未だ仕方のなきことなれば……子まである仲なれど……急に今……願い出んようも……これ……少々……養子縁組の儀をとある御方に頼んだものの……不首尾に終わって御座ったればのぅ……」

と、曇り顔に弁解致いた。

 仲人ともども件(くだん)の姉娘の一件につき、縷々告げ、その利害をも懇切に訴えたが、番頭からは一向に、はかばかしい答えも貰えずに御座った。

 されば、かの父医師、

「……されど何分にも義理の立ち難きことなれば!……」

と、切に訴えたによって、その場に呼び出されて御座った妻――妹娘――もまた、親の物語りの委細をじかに聴き、詮方ものぅ、仲人ともどもうち連れて、実家へと還ることとはなった。

 さすれば、その日のうちに、姉の夫の方へは、

「妹娘は離縁なして取り戻して御座る。」

と申し伝えたによって、姉婿は、

「しからば元より離縁の子細は御座らぬ。」

とて復縁致いたと申す。

 しかるに――言い忘れて御座ったが――かの父医師は丁度その頃には既に後妻を迎えて御座った。言うまでもなく、かの二人の姉妹はこの継子に当たる訳であったが、その後妻、これ、如何にも心悪しき継母にて、もとより清貧の医師なればこそ、生計(たつき)も火の車のところに、かの妹娘が出戻ったによって、継母の仕打ちは、これ、尋常ではない。陰に陽に酷いいじめを受け、遂には妹子、鬱々として気の病いを患いだしたと申す。

 しかるに、かの優柔不断なる番頭なる男は、頑是ない我が児(こ)を見るにつけ、また、かの妻のことを思い悩んで日を経るに、

「……それにても……妻は不憫のことじゃ……しかれども、未練がましぅかの父医師のもとへ訪ねて、またこちらの言い訳を致いて復縁を乞うも、これ……面倒にして、また叶うこともなかろう。……」

なんどと、ただただ、こちらも鬱々として晴れぬので御座った。

 そんなある日のこと、番頭は自邸の座敷の窓の傍らにて、かねてより好んでおった絵なんどを描きつつ、いつものように、

『……それにしても……飽きた訳でもなくして別れた妻は、如何なして御座ろう……まっこと、不憫なことじゃ……』

と思いつつ、燈下に手を組んで……うつら……うつら……致いては……何か……夢を見た――と思うた

……と……

……そこは

……まさにその窓辺で御座って

……現(うつつ)に

……確かに窓の障子を

――さらさらと

……開ける。……

……そこに顏を出だいた者があった。……

……それを見ると

……これ

……確かに別れたる妻の

……変わらぬ姿にて

……窓の外より手を伸ばし、彼の手をとって、つくづくと見つめておるので御座った。……

 彼も流石に武勇の士なれば、かの妻の姿形をした妖しいものの、その腕をぐいと捕え、その顔を凝っと見つめた。

 しかし、女はものを言う気配もない。

 彼は言った。

「――汝、女の身として、夜分、一人何故(なにゆえ)に来ったか?! 全く野狐(やこ)の、我が心の鬱々たらんを知りおおせて来たったるものでもあろう! 世にはこのようなことがあることは知っておる。我ら、どうして狐狸のために誑(たぶらか)されようか!……もしも、まっこと、我が別れたる妻なれば、何ぞ、その確かな証(しる)しを持ち来たれッ!」

と喝破し、手を放したところが……

――ふっと

……消え失せたのであった。……

 それから四、五日が過ぎた夜のこと、また先におったる窓の下(もと)にて座って御座ったところが……

……例の如く

……障子を開けて

……そこから

――すうっと

……内へ入って参る者があった。……

「何者かッ!」

と、見れば、やはり、かの離別せる妻である。……

……しかし

……この度は

……先とうって変わって

――髪も乱れ

――色青ざめ

――およそこの世の者とも思われぬ体(てい)にて

――胴のあたり

――さらにまた

――脇腹のあたり

――血潮の滴って

――これ見るも哀れ、無惨なる姿の妻であった。……

 その妻が

――懐(ふところ)より、我が子の小袖一つ出だいて、

「……これは……妾(わらわ)……里へ戻る折り……御身の物……吾子(わこ)の物は……これ……残し置き……妾(わ)が身の品のみ……持ち帰えりましたが……外に……つい……包の内へ……この品の紛れ入って……おりました……あなたさまが……『印を』と……仰せられましたによって……かく……持ち参りましたれば……」

と、我が身の儚きことどもを物語るや

――ふっと

……消え失せて御座った。……

 この時、男は――絵にて描くことに達者で御座ったによって――その折りの凄愴なる妻の姿形を仔細に描き写し、それに彩色をも施した。

 さても――凡そありそうもなき――あり得ぬことなれども――番頭はひどく気に掛かって、かの医師の菩提所を訪ねて、そこの和尚を呼ぶと、かの医師の家の墓まで同道の上、

「……かの医師の娘の葬(ほう)りが御座ったか?」

と訊ねた。

「――なるほど。その娘の儀なれば――確かに葬送致いて御座る。」

との答え。

 されば男は、

「……その骸(むくろ)で御座るが……これ……何ぞ、その……変死を物語るようなものにては御座らなんだか?……はたまた、病死という体(てい)のものにて、御座ったか?……」

と急いて訊ねたが、

「……そ、それは分かりませぬなぁ……まあ、見た目はこれ、変死なんどとは思はれぬ御遺体では御座いましたが……」

の由、訝し気に答えたによって、男は僧と本堂へと返し、役僧らも交えた中で次のように語った。

「……今は何をか、つつみ隠し申そう。……実は、かの娘は我が妻なれど、訳あって互いの意志に違(たご)うて離縁致いたるもの。……それが先日の夜……かくかくの……無惨なる体(てい)にて……我らが眼前に現わるるという怪異の……これ、御座った。……」

と具体に語って聴かせた。僧らはその霊の出現の下りを聴ても半信半疑な様子で御座ったが、男がおもむろに見せた、子の小袖の切れ端と、その霊を写した彩色画を見た途端に、皆、真っ青になった。

 その後、

「……さればこそ、どうか、妻のこと、手厚く追善供養致いて下されよ。……」

と、男が布施を施そうとしたところが、住持は、それを押し戻して、

「……い、いや……そ、その儀はお許し下さいませ。……我らも、この墓の施主の医師とは、古き檀家としての縁の御座って、懇意にしておりまするゆえに、この度も手厚く弔(とむろ)うて御座いましたが……が……か、かくも無惨な形相(けいそう)をなして現わるると申す奇談を拝聴致しますにつけ……これ、拙僧の未熟なる法力(ほうりき)にては……とてものことに……成仏致すとも、思われませぬ。……この寺よりこれこれの道を暫くお行きになられた先、少し隔たったところでは御座いまするが、△△寺と申す寺にかくかくと申す僧の御座れば……その御方を頼みとなさるるが、これ、宜しゅう御座いまする。……」

と語って御座った。

 そこで、番頭はその足でその教えられた寺へと赴き、その徳あるとされた僧に面会し、仔細を告げ、小袖と幽霊画を見せたところ、僧は寺僧をことごとく呼び出だし、即座に壮大なる法会と修法(ずほう)を修して呉れたとのことで御座る。

 

 なお、かの亡霊を写した絵を、かの二つの寺の寺内や、その他の機会に垣間見た者は、これ、孰れの者も必ず、ひどい熱病を患ったという。

 しかし、相応の××丸(がん)と申す、かの父医師の家に伝われる秘薬を処方せば、何れもたちどころに全快致いた、とも聞いて御座る。

 

 その後、霊の出現はどうなったか――これは聞いて御座らぬ。

 加えて、幽霊画を見た者が何故(なにゆえ)にことごとく熱病を患ったか――という訳も存ぜぬ。

 何とも話柄総てに、それこそ、怪しい箇所がふんだんに御座るが、ともかくも、聴いたままをここに記しおくことと致す。

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