日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十四章 函館及び東京への帰還 8 東北スケッチⅡ 明治11年当時の東北の正真正銘の電信柱
図―432
道路に添うて政府は、日本の全長にわたるべく電信を敷いている。この仕事を徹底的に行うやり方は、興味が深かった。電柱になる木は、地上、一、二フィートの場所で伐らず、根に近く伐るので、底部は非常に広く、そしてこの部分は長持ちさせる為に火で焦す。この広い底部は大地に入って、しつかりと電柱を立て支える。柱の頂点には、雨を流し散らす為に角錐形の樫の木片を取りつける(図432)。
[やぶちゃん注:「電柱になる木は、地上、一、二フィートの場所で伐らず、根に近く伐るので、底部は非常に広く、そしてこの部分は長持ちさせる為に火で焦す。この広い底部は大地に入って、しつかりと電柱を立て支える。」ちょっと意味をとりにくい。原文は“The trees to make the poles, instead of being cut a foot or two
above the ground, were cut close to the roots, so that the base was very wide,
and this part was charred to preserve it. This wide base gives it a much firmer
hold in the ground.”で、これは通常ならば、電柱に用いる木は上下の太さが大きく異ならないように、根元から「一、二フィート」(約三十一~六十一センチメートル)の箇所を伐ってそこから上を用材とするところだが、そうせずに、有意に幅の広い根元近くから木を伐って使用している(だから埋設する部分が上部より有意に幅広で安定感が生ずる、ということを言っているもののように私には受け取れる。老婆心乍ら、この図は地下に埋設されている部分を含めて描かれた透視図である。左右に電線のように出ている(実は私は当初、こんな低い位置に電線を張るのか! とビビった)のは地面であって、これには電信線は描かれていない。個人ブログ「ふるさとの礎 なかしべつ伝成館」の「丸太の電信柱さがし」で北海道根室管内標津郡中標津町に現存するこのスケッチに近い丸太の電柱を見ることが出来る。必見。]
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