橋本多佳子句集「紅絲」 露
露
鶏頭起きる野分の地より艶然と
伏目に読む睫毛幼し露育つ
露の中つむじ二つを子が戴く
人の背をふと恃みたる穂草の野
白露や鋼の如き香をもてり
露けき中竈火胸にもえつゞけ
虫鳴く中露置く中夫(つま)死なせし
[やぶちゃん注:既注乍ら、夫豊次郎の逝去は、本句集刊行(昭和二六(一九五一)年六月一日)の十四年前の昭和一二(一九三七)年九月三十日、享年五十であった。この句集刊行当時、多佳子五十二歳、夫の年を既に越えていた。]
露霜や死まで黒髪大切に
露万朶幼きピアノの音が飛ぶ飛ぶ
椎の実の見えざれど竿うてば落つ
淡路島
一夜の島月下の石蕗(つは)の花聚まる
海より雨激しくよせる石蕗の花
海彦の答へず霧笛かけめぐる
[やぶちゃん注:「海彦」単に海の比喩であるが、言わずもがな乍ら、淡路島は記紀の国産み神話に於いて伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)が最初に創造した島である。同じ記紀に載る山幸彦と海幸彦自体の伝承の内、彼らの誕生地や背景は現在の宮崎県の宮崎市を中心とした宮崎平野に集中しているが、これから派生した浦島太郎伝承は四国にあり、淡路島と海彦の取り合わせは必ずしも場違いではない。]
舟虫の背に負ふ瑠璃の砲塁亡し
[やぶちゃん注:甲殻綱等脚(ワラジムシ)目ワラジムシ亜目フナムシ科フナムシ
Ligia exotica は一般には背中側の体色は鈍い光沢のある黒色であるが、淡黄色の斑(まだら)模様や褐色の広い縁取りがある個体もあり、成体の大型個体の中にはまさに多佳子のいうように「瑠璃」の虹色を帯びた個体もいる。「砲塁」跡が何処かは不明。太平洋戦争末期の本土防衛のために日本各地で海岸直近に砲塁は建てられたが、幕末のそれらも多くあり必ずしも直近のそれとも断定は出来ない(寧ろ、幕末期のそれの可能性の方が高いか。とすると福岡か)。ロケーションの分かる方は御教授下さると嬉しい。]
高まりつゝ野分濤来るはや砕けよ
野分濤群れ来る歓喜生き継ぐべき
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