駅へ出る途 山之口貘
駅へ出る途
蜘蛛の巣のうるさい土地なのだ
それで義兄が裏の竹藪から
一本の竹を切り出してくれたのだ
竹はすてっきになって
すてっきはぼくといっしょに
汽車にのるまでの一里の途を歩くのだ
ぼくは途々すてっきを振り廻しながら
めのまへの蜘蛛の巣を払って歩くのだ
かうして毎日の往き復りを
ぼくは竹のすてっきを振り廻して
東京の役所に通ってゐるのだ
ある日その竹のすてっきを
東京に置き忘れて帰って来た
女房に云はれて見てみると
そこに脱ぎ捨てたばかりの鐡兜に
煤色の蜘蛛が一匹
疣みたいにしがみついてゐるのだ。
[やぶちゃん注:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」で初めて公になった詩篇。初出は不明(未発表か)。底本の松下博文氏の解題によれば、昭和二二(一九四七)年六~七月の創作作品と推定されている(根拠の詳細は当該書を参照されたい)、詩集「鮪に鰯」の編纂用原稿の束の中にある原稿から起こされた一篇である。同詩集への収録を予定していた一篇であった可能性があるが、実際には採用されていない。松下氏は『定稿に近いと思われる』とあるので決定稿ではない草稿ではある。これ以降についての漢字表記は底本の「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」の通り、新字体とすることとする。理由はこの現存する戦後二番目の未収録詩篇である本詩が新字体で刊行された「鮪に鰯」の準備稿の一篇として選ばれていた可能性が高いからである。ただ、本詩の作品内時間は、明らかに妻静江さんの実家に戦中から戦後にかけて疎開していた(昭和一九(一九四四)年十二月から昭和二十三年七月迄)時期のもので、私は「鉄兜」から敗戦前の戦中のシチュエーションと読むことから、旧字表記も考えたことはここで述べておきたい)。]