日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十四章 函館及び東京への帰還 9 東北スケッチⅢ 436年前の日本でモース先生が無人販売所にびっくらこいた事
日本の北方の各地で、私は路の両側に、村から相当離れた場所に、大きな老木を頂に持つ大きな塚があるのに気がついた。これ等は村や町の境界を示すのだそうである。また路の所々に、瓜を売る小舎(図433)が建ててあった。瓜は我国のカンテロープ〔其桑瓜の一種〕 に似ていない事もないが、繊維がかたく、水分を吸う丈の役にしか立たぬ。もっとも東京附近にある同じ果実は、美味である。これ等の小舎に関する面白い点は、その殆ど全部に人がいないで、値段を瓜に書きつけ、小銭を入れた筋が横に置かれ、人々は勝手に瓜を買い、そして釣銭を持って行くことが出来る! 私は見知らぬ土地を、付き添う人なしで歩く自由と愉快とを味いつつ、仲間から遙か前方を進んでいた。非常に渇を覚えたので、これ等の小舎の一つで立止り、瓜を一つ買い求めようと思ったが、店番をする者もいないし、また近所に人も見えぬので、矢田部が来る迄待っていなくてはならなかった。やがてやって来た彼は、店番は朝、瓜とお釣を入れた箱とをそこに置いた儘、田へ仕事に行って了ったのだと説明した。私はこれが我国だったら、瓜や釣銭のことはいう迄もなし、このこわれそうな小舎が、どれ程の間こわされずに立っているだろうかと、疑わざるを得なかった。
[やぶちゃん注:「村や町の境界を示す」「大きな塚」境塚などと呼ばれるものである。江戸時代に公的に作られた藩境塚とは別に、村単位で作られたものがもとから存在した。
明治一一(一八七八)年から実に百三十六年も経った今も、私の日々の犬の散歩道(藤沢市内。但し、私の居住地は鎌倉市である)に幾らも当たり前に無人販売所がありますが……モース先生、きっと信じないよね?]
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