杉田久女句集 253 花衣 ⅩⅩⅠ
悼柳琴 一句
莖高くほうけし石蕗にたもとほり
[やぶちゃん注:「柳琴」太田柳琴。坂本宮尾氏の「杉田久女」によれば、久女の子らの主治医であった小児科医でクリスチャン、俳句もたしなんだ人物で、夫宇内との不仲に悩んだ久女のメソジスト教会への入信を勧めた一人である。『俳句をたしなみ、小倉の俳句会『二八会』の創設者のひとりで、久女によれば、「物質万能のK市には珍しい様な高い人格者だつた」』(小説「河畔に棲みて」からの引用)とある。彼の没年は調べ得なかったが、角川書店昭和四四(一九六九)年刊「杉田久女句集」では昭和六(一九三一)年のパートにある。久女大正一〇(一九二一)年より教会に通い出し、翌大正一一年八月に受洗した。因みに夫も同年十二月に受洗しているが、久女は四年後の大正十五年十一月頃には教会から距離をおき、同時に俳句に専心する決意を固めている。因みに昭和二一(一九四六)年一月二十一日に大宰府県立筑紫保養院にて腎臓病のために亡くなった久女の遺骨は夫宇内の実家の裏山の墓地に葬られている。戒名は無憂院釋久欣妙恆大師である。教会を離れてから五年後であるが、同人に対する敬愛の念は続いていたことが分かる。久女伝説の一つにはこの大田柳琴との醜聞があるが、私は全く採らない、というか、彼女の不倫スキャンダル自体が孰れも怪しいものばかりで私には関心がないのであると述べおくこととする。]
« 杉田久女句集 252 花衣 ⅩⅩ | トップページ | 杉田久女句集 254 花衣 ⅩⅩⅡ 耕人に雁歩むなり禁獵地 »