オホゾラノ ハナ 山之口貘
オホゾラノ ハナ
フンワリ
フウワリ
トビオリタ
ビックリ スルナヨ
ワルイ クニドモ
ボクラハ
オホゾラニ サキホコル
ニッポンテイコクノ
オホキナ
ハナ ダ
[やぶちゃん注:初出は昭和一八(一九四三)年九月号『コドモノヒカリ (9月20日航空日特輯)』で、前の「アカイ マルイ シルシ」とともにそれぞれ別な子供の絵とともに二篇掲載された。七歳の少年(底本とした思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」の解題には姓名が掲載されているが、個人情報として問題があると思われるので載せない)絵(恐らくは落下傘部隊の)が添えられてあるらしい。旧全集との異同はない。前の「アカイ マルイ シルシ」とともに、バクさんの、現在知られるカタカナ表記の最も古い児童詩の一つであると同時に既刊詩集未収録詩篇中、最後の戦中の発表作でもある。
両者が典型的な戦意高揚詩(それも少年向けという点で言い逃れの出来ない確信犯のそれ)であることは言を俟たない。但し、私はそれを以ってバクさんを批難する気は毛頭ない(しかし、先の「希望」で掲載誌に書き入れを残していたバクさんにとっては、この二つの紛う方なき戦争協力詩が自身の死後の全詩集に載ることは予期していなかったであろう。恐らくは旧全集が「児童詩」と称して第一巻の全詩集ではなく、第四巻の評論に所収したのにはそのような配慮が働いたからではなかろうか?)。私の『反戦詩』『反戦詩人』という語彙(というよりも戦後の評論家のレッテル)に対する違和感は既にバクさんの「応召」の詩の注で述べたので参照されたい。なお、この詩を読むと即座に思い出すのは、バクさんの盟友金子光晴の『反戦詩』として名高い「落下傘」であろう(昭和一三(一九三八)年六月『中央公論』に発表。リンク先は「詩の出版社ミッドナイトエクスプレス」のアーカイブ同篇全詩が読める)。「落下傘」は確かにいい詩である。しかし私はこの詩に『反戦詩』の名号を奉って香を炷(た)く気には今も昔もさらさらないのである。]