日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十三章 アイヌ 16 アイヌの家屋(Ⅳ) プウ(倉)/臼/チプ(舟)
図―401
図―402
図―403
彼等が乾したり燻したりした魚や魚皮を仕舞っておく納屋は、高さ四、五フィートの柱の上に建ててある。それ等の中のある物には、ニューイングランドの玉蜀黍(とうきび)小屋が、柱の上に置かれたブリキの鑵で、齧歯類の動物をふせぐのと同様に、柱の上にけばけばしい色の木箱がさかさまにのせてあった。かかる納屋の形式は図400・401に見られる。米を搗き砕く大きな木製の臼が家の内や外にある。図402に示したものは長さ三フィート、木の幹からえぐり出し、彫りぬいたものである。木の幹からえぐり出したアイヌの舟は、私が日本で見たどの「刳舟(くりぶね)」とも違った形をしていた。図403に示したものは長さ十四フィート、舳も船尾も同じで、船壁は薄く、彼等の材木細工の多くに於るが如く、至って手奇麗に出来ていた。
[やぶちゃん注:「彼等が乾したり燻したりした魚や魚皮を仕舞っておく納屋」この高倉式の食糧貯蔵庫はアイヌ語で「プー」「プウ」(倉の意)と呼ぶ。ウィキの「チセ」の「付属設備」に、『家の周辺部には付属施設として、ヘペレセッ(檻)、プー(高倉)、アシンル(便所)を設ける。ヘペレセッは春の猟で生け捕りにし、冬のイオマンテで天界に送るためのヘペレ(小熊)を飼うためのもので、丸太を井桁組にした構造である。屋内の主人席からカムイプヤラ越しに様子を伺えるよう、家の東南東に設けられる場合が多い。高床式倉庫であるプーには、穀物や干し肉、干魚を蓄える。害獣の侵入を防ぐため、柱にはエリモホシピレッペ(ねずみ返し)を取り付ける。出入り用のニカラ(刻み梯子)も、普段は外しておく。便所は地面を掘りくぼめて簡単な屋根をかけたもの。アイヌには大小便を肥料とする習慣が無いので、内容物を汲み取ることは無い。穴が一杯になれば埋め、別の場所に新たな便所を作る』とあり(リンク先に画像あり)、ここでモースが「柱の上にけばけばしい色の木箱がさかさまにのせてあ」ると述べているのも、その「シピレッペ(ねずみ返し)」である(但し、ネット上の現在の復元されたそれらの写真では、それらしい装置は見られるものの、「けばけばしい色の木箱」のようなものは見受けられない)。
「四、五フィート」一・二二~一・五二メートル。
「臼」アイヌ語で「ニス」と呼ぶ。北海道沙流郡平取町字二風谷の「平取町立二風谷アイヌ文化博物館」公式サイト内のこちらを参照されたい。そこには『毎日のように臼を使っていた主婦が亡くなると、臼の一部分を欠かしてそのかけらを死体と一緒に埋葬します。それは、神の国で臼の命も復活し、女が道具に不自由しないようにとの願いからでした』ともある。私はこういう信仰をこそ信じたい部類の人間である。
「三フィート」約九十一センチメートル。
「刳舟」アイヌ語で「チプ」(舟の意)と呼ぶ。「平取町立二風谷アイヌ文化博物館」公式サイト内のこちらを参照されたい。そこでは舳先にイナウが祀られてあるのを現認出来る。これは昭和四〇(一九六五)年頃に復元製作されたカツラ材によるものであるが、全長六・三四メートル・最大幅六四センチメートル・高さ四二センチメートルとある。
「十四フィート」四・二七メートル。図を見ると幅を“2 feet”と記してあるのが分かる。二フィートは六〇・九六センチメートルであるから、前の復元品の幅とも長さの比から見て最大幅がやや狭くなると思われるから、よく一致すると言えるであろう。]
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