日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十四章 函館及び東京への帰還 11 東北スケッチⅤ 鮎挿し(弁慶) / 卵苞
一番主な旅籠屋へ行って見たら、部屋は一つ残らず満員で、おまけに村中の、大小いろいろな旅館を、一時間もかかってさがしたが、どこも泊まることが出来なかった。たった数時間前、二百名の兵士の一隊が到着したばかりで、将校や兵士の多くが旅館に満ちていた。で我々は、-人の村人が村の有力者をさがし出し、我々の苦衷を説明し、何等かの私人的の便宜を見つけて貰う可く努める間、極度に空いた腹をかかえ、疲れ果てて暗闇の中に坐っていた。日本には、外国人が個人の住宅に泊ることを禁じた法律があるので、我々は全く絶望していた。最後に我我が休息していた満員の旅館の、ほとんど向う側にある個人の住宅に、泊めて貰えることになった。美麗で清潔な大きな部屋が一つ、提供されたのである。ここには蚤が全然いなかったが、すでに身体中に無数の噛み傷を受けていた私にとって、これは実に大なる贅沢であった。我々は美味な夜食の饗応を受け、翌朝は先ずその家の主人に、この歓待に対して何物かを受取ってくれと、大きにすすめて失敗したあげく、四時に出発した。村をウロウロしている田舎者以外に、長い行軍の後でブラついている兵隊も何人かいたが、私は敵意のある目つきも、またぶしつけな態度も見受けなかった。私は米国領事から数百マイルはなれた場所に、只二人の伴随者と共にいたのである。
[やぶちゃん注:二百名もの兵士というのは尋常ではない。これは陸軍の演習であろうと思われるが、確認出来なかった。]
図―434
我々が巡った村の一つで、私は何か新しい物はあるまいかと思って、町の後の方へ行って見たら、ある家の中央の炉の上に大きな藁の褥(クッション)がつるしてあり、それに各々小魚をつけた小さな棒が、沢山さし込んであった。これは、こうして燻製するのである。日本人は燻した鱒(ます)を好む。そして捕えるに従って、長い、細い竹の串につきさし、それを図434に示すように、褥につき立てる。
[やぶちゃん注:「大きな藁の褥」「鮎挿し」である。また、七つ道具を背負った姿に喩えて「弁慶」とも呼ぶ。]
鶏卵を、輸送するために包装する、奇妙な方法を、図435で示す。卵を藁で、莢(さや)に入った豆みたいに包み、これを手にぷら下げて持ちはこぶ。
[やぶちゃん注:卵苞(たまごつと)である。グーグル画像検索「卵つと」。]
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