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2014/07/31

にこにこ正月   山之口貘

[やぶちゃん注:以下、本ブログ・カテゴリ「山之口貘」で示す五篇は思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」の「その他の既刊詩集未収録詩篇」に載る、初出の確認が出来なかった残されていた原稿の中で定稿或いは清書原稿に近いと編者松下博文氏によって判断され選択された作品である。これは、そうした判断や選択から除外された草稿類が多く残存することを意味するのであるが、それらは同新全集第四巻(二〇一四年七月現在未刊)で公開されるものと思われる。

 注が容易と思われる詩から順に選んだ関係上、ブログ版では以下の詩篇の順列は底本とした上記新全集の順列とは異なる。上記新全集の順列は、

 

 沖縄舞踊

 にこにこ正月

[やぶちゃん補注:この間に「坂」という詩が入るが、これは底本製本終了後にバクさんの詩友淵上毛錢(本名、喬)の詩であることが判明、「訂正とお詫び」の投げ入れが入る。バクさんは彼の詩集の序詩(昭和一八(一九四三)年一月詩文学研究会(東京市麻布区霞町)発行の「淵上喬詩集 誕生」の序文が初出。詩集「鮪に鰯」に収録された例の「チェロ」である)も書いている。思潮社の投げ入れによれば、この詩稿は不思議なことにバクさんの自作自筆原稿の中に作者を記さずに混入していたためにこのような事態が出来した旨の記載がある。既に昭和四七(一九七二)年に国文社から刊行された「淵上毛銭全集」の拾遺詩篇に「坂」として全く同一の詩篇が載っているとある。正直言うと、新全集を手にした際に一番吃驚したのはこの大きなミスであった。]

 お金の種類

 龍舌蘭

 (いつもは……)

[やぶちゃん補注:最後の『(いつもは……)』は説明がないが、詩題がないために、一行目の詩句にリーダを配して丸括弧で括って仮に示したものと思われる。私は無題とした。]

 

である。この順列については解題に説明がないが、底本の配列全体に細心の緻密な配慮をなさっておられる松下氏のことであるから、バクさんの癖である逆編年順列を考証しての配置であると私は思っている。]

 

 にこにこ正月

 

あけまして おめでとう

どの子も にこにこ

おめでとう

 

ひろ子ちやんも おめでとう

みゝ子ちやんも おめでとう

はねをついて にこにこ

まりをついて にこにこ

 

まことちやんも にこにこ

凧々あがれ おめでとう

天まであがれ おめでとう

 

みずえちやんも にこにこ

小さな おてゝに

大きな

みかんのお正月 おめでとう。

 

[やぶちゃん注:拗音表記がないのはママ。思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」解題では『掲載紙不明』とし、『原稿は一枚のみ』で『(正月の朝)に類する』と注記する。正月朝」は底本の「既刊詩集未収録詩篇」(旧全集は「児童詩」)のパートに所収するもので、初出は昭和三一(一九五六)年新年特大号「小学五年生」である。そこではミミコ(泉)さんが登場し、年齢を言うシーンが出ることから私は『これはシチュエーションとしては実に正しく前年昭和三十年のお正月の景であることを表わしている。バクさんは満五十一歳』と注した。「にこにこ」というリフレインという共通性、「みゝ子ちやん」の登場からも、この「おめでとう」は「正月の朝」と同一時期でしかも同一シチュエーションを素材とした創作のようには思われる。バクさんが有意に年月をおいて似たフレーズを詩篇で濫用することはあまりないように思われるからでもある。問題は拗音表記の有無で、「正月の朝」は拗音が表記されてあり(「いった」二箇所と「ちょっと」二箇所)、そこから遡って「既刊詩集未収録詩篇」を調べると、拗音表記がない詩篇は「古びた教科書」(児童詩。松下博文氏の解題によれば昭和三〇(一九五五)年頃の創作と推定される)である。しかし、この「古びた教科書」での松下氏の推定が正しいとするなら、やはり本詩「おめでとう」が昭和三十年の創作である可能性が結果として高くなるのである。]

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