日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十四章 函館及び東京への帰還 1 函館にて(Ⅰ)
第十四章 函館及び東京への帰還
図―422
函館へ帰ってから数回、津軽海峡へ曳網旅行に出かけた。一度は素略しい弁当、バスのエール、その他いろいろなうまい物を持って、一日がかりで出かけた。ある地点で高嶺と私とは、六マイルばかり離れた海角にある古代の貝墟を、歩て見に行く為に上陸した。我々は遠か向うに我々の小さな蒸気船を見ることが出来たが、目的の海角に着かぬ前に疾風が起り、我々が腕の痛くなる程ハンカチーフを振ったにも拘らず、彼等は我々を見出すことが出来なかった。我々は船が我々を十五マイルの遠方に残して函館へ向うのを、空しく見送らねばならぬ、悲惨な状態に陥った。小さな漁村で、我々は船の上にある御馳走のことを考えながら、一塊の水っぽい魚の羹(あつもの)と、貧弱な米の飯とを食った。ここで土着の鞍をつけた駄馬を二頭やとったが、実に我慢出来ぬ鞍なので、時々下りて歩き、夜に入ってから疲れ切って、びっこを引き引き、函館へ着いた。途中、例の噴火山が非常に立派に見えたが、その輪郭は函館から見るのとまったく違う。噴火口の形は明瞭に見わけられ、斜面は淡褐色で、美しく日に輝いていた。図422はその外見を、簡単に写生したものである。
[やぶちゃん注:「バスのエール」原文は“Bass's ale”。底本では直下に石川氏の『〔一種の麦酒〕』と割注する。これは“BASS PALE ALE”(バス・ペール・エール)でイギリスのバス社製のエール、上面発酵のビール。ウィリアム・バス(William Bass) が英国中部で創業した古参のビール会社である。グルメ情報サイトの『明治時代の日本にも輸出されていた「バス」』によれば、ナポレオン・エドガー・アラン・ポーが愛飲、かのタイタニック号の処女航海には五百ケースのバス・ペール・エールが積み込まれていたとあり、『明治時代にバス・ペール・エールを輸入していたという記録が残ってい』るとある。
「六マイル」約九・七キロメートル。
「海角」原文は“point”。岬。突端。
「十五マイル」約二十四キロメートル強。
「例の噴火山」有珠山。識者ならば以上の距離と山容(現在とは異なるが)から見て、モースと高嶺が置き去りされた場所がある程度、特定出来ると思われる。よろしく御教授をお願い申し上げる。]
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