萩原朔太郎「ソライロノハナ」より「何處へ行く」(25) あさくさ
あさくさ
暖秋小春日の午後
淺草公園の雜鬧を歩く時
ほど心たのしきものはあらぢ
やるせなき心抱きて淺草に
來れる我も玉乘りを見る
[やぶちゃん注:前書の「あらぢ」はママ。前書中の「雜鬧」は「ざつたふ(ざっとう)」と読み、「雑踏」「雑沓」に同じい。「鬧」は本来は音は「ダウ(ドウ)」で騒ぐ・騒がしくする・騒がしい・賑やかという意である。]
南無大悲大慈大悲の觀世音
わが思ふこととゞかせ給へ
何時までも觀音堂の廻廊に
柳散るを眺めて居たりき
かの巡査いつも立ちて居り境内の
手洗鉢(みたらし)の屋根の柳散るころ
柳散る觀音堂のきざはしに
不門品(ふもんぼん)を誦して居たる男よ
[やぶちゃん注:「不門品」のルビは原本では「ふもんぽん」。誤字と断じて訂した。無論、校訂本文もそう訂する。]
淺草の十二いろはの三階の
色硝子より見たる町の灯
われ母の影にかくれて餌をやりし
その鳩を思ひ淺草に行く
やる瀨なき心抱きて淺草に
來れる我も玉乘りを見る
[やぶちゃん注:ママ。本歌群「あさくさ」の冒頭の一首の重出。]
あはれかの淺草の人と物音の
中を歩くも心痛めり
公園のベンチに來りモスリンの
灯の見ゆるまで座りて居たりき
[やぶちゃん注:「モスリン」(英語:muslin)は綿や羊毛などの単糸で平織りした薄地の織物。ウィキの「モスリン」によれば『日本では、モスリンは薄手の平織り羊毛生地を指すのが普通で、綿生地を綿モスリン、羊毛生地を本モスリンと呼んで区別することがある』。『別名、メリンス(スペイン語に由来)、唐縮緬(とうちりめん)』。『絹のモスリンはシフォンと呼ばれる』。『薄地で柔らかくあたたかいウール衣料素材で、日本では戦前の普段着の着物、冬物の襦袢、半纏の表、軍服(夏服・夏衣)などに用いられていたが、近年では東北地方北海道の一部以外ではほとんど流通しておらず、目にする機会は少なくなっている』とある。ここは最後が直接体験過去の「き」であるから、「モスリン」を着た人物の換喩であるが、これは朔太郎自身であろう。なお、校訂本文は「座」を「坐」と訂する。]
一人にて酒をのみ居れる憐れなる
となりの男なにを思ふらん
(神谷バアにて)
淺草の活動寫眞の人ごみの
中にまぢりて一人かなしむ
はらからもわが淺草に行くことの
深きこゝろを知らぬかなしさ