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2014/07/06

萩原朔太郎「ソライロノハナ」より「何處へ行く」(25) あさくさ 

 あさくさ

 

     暖秋小春日の午後

     淺草公園の雜鬧を歩く時

     ほど心たのしきものはあらぢ

やるせなき心抱きて淺草に

來れる我も玉乘りを見る

 

[やぶちゃん注:前書の「あらぢ」はママ。前書中の「雜鬧」は「ざつたふ(ざっとう)」と読み、「雑踏」「雑沓」に同じい。「鬧」は本来は音は「ダウ(ドウ)」で騒ぐ・騒がしくする・騒がしい・賑やかという意である。]

 

南無大悲大慈大悲の觀世音

わが思ふこととゞかせ給へ

 

何時までも觀音堂の廻廊に

柳散るを眺めて居たりき

 

かの巡査いつも立ちて居り境内の

手洗鉢(みたらし)の屋根の柳散るころ

 

柳散る觀音堂のきざはしに

不門品(ふもんぼん)を誦して居たる男よ

 

[やぶちゃん注:「不門品」のルビは原本では「ふもんぽん」。誤字と断じて訂した。無論、校訂本文もそう訂する。]

 

淺草の十二いろはの三階の

色硝子より見たる町の灯

 

われ母の影にかくれて餌をやりし

その鳩を思ひ淺草に行く

 

やる瀨なき心抱きて淺草に

來れる我も玉乘りを見る

 

[やぶちゃん注:ママ。本歌群「あさくさ」の冒頭の一首の重出。]

 

あはれかの淺草の人と物音の

中を歩くも心痛めり

 

公園のベンチに來りモスリンの

灯の見ゆるまで座りて居たりき

 

[やぶちゃん注:「モスリン」(英語:muslin)は綿や羊毛などの単糸で平織りした薄地の織物。ウィキの「モスリン」によれば『日本では、モスリンは薄手の平織り羊毛生地を指すのが普通で、綿生地を綿モスリン、羊毛生地を本モスリンと呼んで区別することがある』。『別名、メリンス(スペイン語に由来)、唐縮緬(とうちりめん)』。『絹のモスリンはシフォンと呼ばれる』。『薄地で柔らかくあたたかいウール衣料素材で、日本では戦前の普段着の着物、冬物の襦袢、半纏の表、軍服(夏服・夏衣)などに用いられていたが、近年では東北地方北海道の一部以外ではほとんど流通しておらず、目にする機会は少なくなっている』とある。ここは最後が直接体験過去の「き」であるから、「モスリン」を着た人物の換喩であるが、これは朔太郎自身であろう。なお、校訂本文は「座」を「坐」と訂する。]

 

一人にて酒をのみ居れる憐れなる

となりの男なにを思ふらん

              (神谷バアにて)

 

淺草の活動寫眞の人ごみの

中にまぢりて一人かなしむ

 

はらからもわが淺草に行くことの

深きこゝろを知らぬかなしさ

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