今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 36 立石寺へ まゆはきを俤にして紅粉の花
本日二〇一四年七月 十三日(陰暦では二〇一四年六月十七日)
元禄二年五月二十七日
はグレゴリオ暦では
一六八九年七月 十三日
である。【その一】この日、芭蕉は尾花沢を発って山寺(立石寺)へと向かった。
まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉(べに)の花
行(ゆく)すゑは誰(たが)肌ふれむ紅の花
向後(ユクユク)は誰(たが)肌ふれむ紅の花
[やぶちゃん注:最初に示した句は「奥の細道」の句。「曾良俳諧書留」に、
立石の道ニテ
まゆはきを俤にして紅ノ花 翁
とあって本句が立石寺へ向かう道中吟であったことが判明する。「猿蓑」には、
出羽の最上を過(すぎ)て
と前書、真蹟詠草には、
もがみにて紅粉のわたるをみて
と詞書を記す。この「わたる」は辺り一面に紅花が咲いていることをいう。
次の句は「西華集」(さいかしゅう・支考・元禄十二年刊)に載る句であるが、そこには、
此句はいかなる時の作にかあらん、翁の句なるよし人のつたへ申されしが、題知らず。
という附記があるが、「俳諧一葉集」(仏兮・湖中編・文政一〇(一八二七)年刊)では、
淸風亭二句
と前書して前の「まゆはきを俤にして紅粉の花」と並べて載せる。
ところが「芭蕉発句集説」(幹員著・寛政一〇(一七九八)年自序)では、
或人加州千代女の句なるよしさも有るべし、翁の調に非ず。
と頭書するし、三番目に出した句は「俳諧 反故集」(ほぐしゅう・遊林編・元禄九年自序)に載る二句目のヴァリエーションとも思われるものであるが、そこでも、
作者不知
とする。底本(中村俊定校注「芭蕉俳句集」)では明らかに芭蕉の句としているものの、こう並べてみると、「誰肌ふれむ紅の花」の句は、やはりやや疑わしい気がしてくる。
キク亜綱キク目キク科アザミ亜科ベニバナ
Carthamus tinctorius は、新暦では七月上旬の梅雨の時期から梅雨明けにかけて真黄色の花を咲かせる。まさに芭蕉が尾花沢を訪れたのが新暦七月三日であるから、まさに紅花の花の真っ盛りの野道を芭蕉は山寺へ向かったのであった。尾花沢の滞在中もそしてこの途次の景の中にも紅花摘みの最上乙女の姿があった。最初の句はその鮮やかな紅花の蔭にちらつく乙女らへの極上の挨拶句/恋句である。
紅花からは染料を製するが特に赤色色素を抽出して陶磁器製の猪口の内側などに刷き乾燥させたものを口紅とした。ウィキの「ベニバナ」によれば、『良質な紅は赤色の反対色である玉虫色の輝きを放ち、江戸時代には小町紅の名で製造販売された』。芭蕉はその一面の紅花と紅花摘みをする可憐な乙女たちからそうした女性の化粧を連想し、さらに紅花の花の形に化粧道具の「眉掃き」(白粉(おしろい)をつけた後に眉を払うのに用いる小さな刷毛(はけ)。眉刷毛(まゆはけ))を艶なる面影に見たのである。
第二・第三の句は口紅若しくは紅花で染め上げた衣へ思いを馳せてそれが行く末はどんな佳人の唇や肌に触れるのであろう、というのであるが、本作は「誰肌ふれむ」が男性との交合をダイレクトに連想させてしまい、そのエロティシズムが赤裸々となって却って下品な印象を与える。その点でもこの句は存疑とすべきものであろう。]
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