日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十三章 アイヌ 7 札幌にて(Ⅲ) モース先生、間一髪!
翌朝は、馬に乗ったお影で節節が痛んでいたが、枯葉の下の陸生貝を発見したい望を持って、数マイル離れた森まで、照りつける太陽の下を歩いて行った。椈(ぶな)と樫の森は、蝸牛(かたつむり)をさがすには理想的である。私はかつて、ニューイングランドで発見したものと、同種であるらしく思われる「種」をいくつか見つけた。これ等の動物をさがす人は四つばいになり、濡(しめ)った木葉や樹木の片をひっくり返しながら、匐(は)い廻らねばならぬ。しばらくの間このようにして、この小さな動物をさがしていた私の耳に、警告するような叫び声がいくつか聞えた。顔をあげて見ると、五十フィートか七十フィートか向うに、数人の鬚だらけなアイヌが一列にならんで、私に向って叫びながら、身振をしている。私は彼等の声が聞えたことの信号として手を振り、彼等はすべて多少日本語を解するので、日本語で「ヨロシイ」と叫び返した。すると彼等の身振は益益猛烈になり、中にも一人のアイヌは、どうも脅迫するような様子で、弓と矢とを連続的に、ぎこちなく振り廻した。突然私は、彼等が私を目して、殺人を敢てしてまで守る彼等の墳墓を探っているものと考えていると思いついた。そして鏃の致死的な毒を思い浮べて、私は渋々立ち上り、歩き去った。私は矢田部教授と一緒に彼等の敵意に充ちた示威運動の意味を質問し、そして私が単に木葉の下の、小さな蝸牛をさがしていたのであることを説明する可く、これ等の人々がやって来た部落を訪れた。すると彼等は、数日前仲間の一人が熊に殺されて喰われたので、大きな毒矢のある熊罠(わな)をしかけたから、私がそこを立ち去らぬと射られるかも知れぬと思って、警告を与えたのだと説明した。彼等自身も、どこに矢を射出す糸があるのか、はっきり知らなかったので、近づくことを恐れたのだという。私は、私を射る準備をととのえた罠の近くを、熊のように四足で匐い廻っていたのであった!
[やぶちゃん注:この段、私は一読、実際にこの場にいたような錯覚を覚えたほど、強烈な印象を与えるシークエンスである。モース先生自身にとっては間一髪の崖っぷちだったわけだけれど、先生には失礼ながら、その実景が不思議に髣髴としてくるに及んで……まさにクマとも見紛う巨体のモース先生がちっちゃな蝸牛をはいずり回って探すシーン……その側の草叢に仕掛けられたトリカブトをたっぷり鏃に塗った毒矢の仕掛けのアップ……向こうからアイヌの人々が大声を揚げている……「ヨロシイ!」と笑って叫ぶモース先生……しかし本物の弓矢で射んとするポーズをとるアイヌの一人……アップしたモース先生の顔に恐怖が過ぎる……なんだか笑ってしまいます、ごめんなさい、モース先生。
「翌朝」札幌に着いた翌朝。七月三十日。従って前の段のブルックス教授との墳丘発掘の前の出来事である。
「数マイル」一マイルは約一・六一キロメートル。
「五十フィートか七十フィート」一五・二四~二一・三四メートル。
「大きな毒矢のある熊罠」個人ブログ「絵入り漫筆」の「奥地紀行61 毒矢・仕掛け矢 その秘密」にある金田一京助他編著「アイヌ芸術」にある「仕掛け矢」の図。]
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