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2014/07/24

萩原朔太郎「ソライロノハナ」より「うすら日」(1) ひとづま(全)

 うすら日 

 

うすら日はやゝ來て這へる露臺など

紅き花など咲けるこのごろ

 

[やぶちゃん注:「うすら日」の標題の裏に一首のみ配されたもの。因みに筑摩書房版「萩原朔太郎全集」第十五巻(昭和五三(一九七八)年刊)の校訂本文では「やや来て」となっているが、この「来」は明らかに誤植である。]

 

 ひとづま

 

なにごとも花あかしやの木影にて

きみ待つ春の夜にしくはなし

 

[やぶちゃん注:本歌は、朔太郎満二十六歳の時、『朱欒』第三巻第四号(大正二(一九一三)年四月発行)に載った、

なにごとも花あかしやの木影にて君まつ春の夜にしくはなし

の標記違いの相同歌である。]

 

あいりすのにほひぶくろの身にしみて

忘れかねたる夜のあひゞき

 

[やぶちゃん注:本歌は、朔太郎満二十六歳の時、大正二(一九一三)年十月二日附『上毛新聞』に載った、

あいりすのにほひぶくろの身(み)にしみて忘(わす)れかねたる夜(よる)のあひゞき

の標記違いの相同歌(太字「あいりす」は底本では傍点「ヽ」)。]

 

夏くれば君が矢ぐるまみづいろの

浴衣の肩ににほふにひづき

 

[やぶちゃん注:本歌は同じく朔太郎満二十六歳の時、大正二(一九一三)年十月二日附『上毛新聞』に載った、

夏(なつ)くれば君(きみ)が矢車(やぐるま)みづいろの浴衣(ゆかた)の肩(かた)ににほふ新月(にひづき)

の標記違いの相同歌。]

 

しなだれてはにかみぐさも物はいへ

このもかのも逢曳のそら

 

[やぶちゃん注:前歌と同じ初出の、

しなだれてはにかみぐさも物(もの)は言(い)へこのもかのものあひゞきのそら

の標記違いの相同歌。]

 

おん肩へ月は傾むき煙草の灯

ひかれる途のほたるぐさ哉

 

[やぶちゃん注:底本校訂本文では「傾むき」を「傾き」に、「灯」を「火」と『訂』する。採らない。特に後者は明らかな捏造である。]

 

なにを蒔く姫ひぐるまの種をまく

君を思へと涙してまく

 

[やぶちゃん注:本歌は、朔太郎満二十六歳の時、『朱欒』第三巻第四号(大正二(一九一三)年四月発行)に載った、

なにを蒔くひめひぐるまの種を蒔く君を思へと涙してまく

の標記違いの相同歌である。]

 

あひゞきの絶間ひさしき此の頃を

かたばみぐさのうちよりて泣く

 

うち侘びてはこべをつむも淡雪の

消(け)なまく人を思ふものゆへ

 

[やぶちゃん注:「ゆへ」はママ。朔太郎満二十六歳の時、『朱欒』第三巻第四号(大正二(一九一三)年四月発行)に載った、

うちわびてはこべを摘むも淡雪の消なまく人を思ふものゆゑ

の標記違いの相同歌である。]

 

かくばかりひとづま思ひ遠方の

きやべつの畑の香にしみてなく

 

いかばかり芥子の花びら指さきに

しみて光るがさびしかるらむ

 

[やぶちゃん注:「芥子」は原本では「艾」(よもぎ)の右払いの左の起筆箇所に左下向きの点が入った字体。後掲する先行する歌形に従い、「芥子」と訂した。本歌は朔太郎満二十六歳の時、大正二(一九一三)年十月二日附『上毛新聞』に載った、

 

いかばかり芥子(けし)の花(はな)びら指(ゆび)さきに泌(し)みて光(ひか)るがさびしかるらむ

 

の標記違いの相同歌である。]

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