日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十四章 函館及び東京への帰還 21 白河提灯祭り(その二)
行列の真中には、十数名の男が肩にかつぐ、飾り立てた華蓋(はながさ)があった。これを運ぶのに、如何にもそれがいやいやながら運ばれるかの如く、男達のある者は冗談半分、引き戻そうとして争うらしく思われた。この景色は到底写生出来なかったが、読者は広い道路、両側に立並んだ低い一階建の日本家屋、軒の下の提灯の列、感心している人々で一杯な茶店、三味線や笛を奏している娘達、速歩で進む行列、高さ十五フィートの竿の上で上下する提灯、時々高さ三十フィートの竿についた提灯の一対……それ等を想像すべきである。それを見ている、唯一の外国人たる私に、過ぎて行くすべての人が目を向けたが、この大群衆中誰一人、私に失礼な目つきをしたり、乱暴なことをしたりする者はなかった。
[やぶちゃん注:「飾り立てた華蓋(はながさ)」原文は“an elaborate canopy”。訳すなら「手の込んだ(精巧な)天蓋様のもの」で、これは神輿(みこし)を指す。白河提灯祭りの各町の行列の中央には神輿がある。しかし「花蓋」という訳は如何か? 天蓋のようなものを「花蓋」と表記するのは字面上は何となく分かるが、初読、これは何かよく分からない(少なくとも祭嫌いの私などでもこれは神輿だとは思ったものの、本当に同祭りについて確認するまでは気になった)。そもそも「花蓋」は「かがい」と音読みし、植物学で萼(がく)と花びらの総称(その区別がつかないものでは両者をひっくるめた呼称。但し、「花被(かひ)」の方が一般的)であって、御輿をこうは呼ばない(少なくとも私は聞いたことがない)。しかも石川氏は「花蓋」に「はながさ」とルビを振るのであるが、花笠を神輿の意味で使用するケースを少なくとも私は知らない(もしかすると石川氏の経験の中で神輿を「はながさ」と呼称する体験があった、祭りの神輿を石川氏は「はながさ」と呼ぶような場所に生活史があったのかも知れない)。
「十五フィート」約四・六メートル。先達提灯の後に複数続く高張提灯群の高さは画像を視認する限り、それぐらいの高さにある(それが不服なら、行列の最後には元方提灯という先頭の先達提灯の半分の高さぐらい(四メートル半)のそれでもよい。私はもう、これは間違いなく、明治一一(一八七八)年の鹿嶋神社の例祭を叙述した数少ない生き生きとした文章なのだと確信して疑わないのである。……私は実は、祭りが嫌いだけれど……これを注しながら……この鹿嶋神社の祭を見たくなったのである……
「高さ三十フィートの竿についた提灯の一対」先に示した鹿嶋神社公式サイトの同祭の写真画像集を調べると、まさに先達提灯は先頭中央に左右二人いることが確認出来る。]
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