日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十五章 日本の一と冬 またしても「よいとまけ」/謎の禅語二種――漢詩の同定と判読のご協力を乞う!――
鉄道軌道を歩いている内に我々は、日本の労働者が地ならしをするのに、シャベルや鉄棒の一振りごとに歌を歌うことを観察した。日本人はどんな仕事をするのにも歌うらしく見える。
[やぶちゃん注:前段の大森貝塚発掘の行きか帰りの嘱目であろう。モースはともかく、日本到着直後からこの手の「よいとまけ」系の仕事唄に異常に関心を示すのは既に見て来た通りである。]
図―466
我々は有名な料理屋へ昼飯を食いに行った。私の日本人の友人たちは、美しい庭園にある石碑の文句を訳すのに、思いまどった。矢田部教授はそれが大体に於て「梅の花の香は、書斎でインクの流走を起させる」という意味だといったらよかろうといった。つまり、花の香が詩人に詩を書かせるということである。このような日本、あるいは支那の古典から取った題句の多くが、家にかけてある額や、庭園の石に見られる。これ等を翻訳すると、我々には何だか大したものでないように思われるが、而も日本人は、それ等が書かれた漢字は、彼等には更に意味が深く、その精神は翻訳出来ないのだと固執する。私と一緒にいた学生達は、この題句を英語に訳そうと試みたが、非常に困難であることを発見した。彼等の一人は、次のようなものをつくり上げた――「梅の香は、人々が白い紙を仕舞っておく部屋でインクが流れるのに似ている」。矢田部夫人が私の書画帖に、支那の古典から取った趣情句を書いてくれた。これは非常によく出来ているとのことである。図466はそれ等の文字の引きうつしであって、「春、我々は花を愛して夙く起き、月を讃美して我々は夜遅く寝る」。
[やぶちゃん注:「梅の花の香は、書斎でインクの流走を起させる」「梅の香は、人々が白い紙を仕舞っておく部屋でインクが流れるのに似ている」原詩不詳。識者の御教授を乞う。
「春、我々は花を愛して夙く起き、月を讃美して我々は夜遅く寝る」この図466の詩句は、
惜花春
起早愛月
夜眠遲
■仙■史
と書かれてあるようだ。最後は書写をした人物の雅号か。判読不能。最初は「鋒」か「峰」か? 最後は「史」ではなく上と合わせた一字かも知れない。幾つかの検索を試みてみたところ、よくお世話になっている早稲田大学図書館の「古典籍総合データベース」の中に「加藤清正陣鼓余材諸家画賛 / 立峰仙史 [編撰]」(嘉永四(一八五一)年自筆筆写)というのがあり、この古田立峰なる人物の筆致は本図と似ていないとも言えない気がする。しかも「立峰仙史」の雅号が幾つか一致するのも気になるのである。識者の御教授を乞うものである。整序して示す。
惜花春起早
愛月夜眠遲
これ自体は南宋の詩人林希逸(一一九三年~一二七一年)の「客渓十一稿」の中にある詩の一節であるらしい(個人のサイトの武漢臣撰「李素蘭風月玉壺春雑劇」現代日本語訳の注160参照)。我流で書き下すと、
花を惜しみて 春は起くるを早くし
月を愛でて 夜は眠るを遲くす
か。現在でもこの詩句は茶席の禅語として好んで掲げられるものであるらしい。
【2014年8月29日追記:《中間報告》中国語に堪能な古い教え子と書道に堪能な若い教え子の二人がほぼ同時に判読不能とした部分を「絳仙女史」と判読し呉れた。これで間違いないと言ってよいであろう。問題はこの文字列が何を意味するかであるが、一番自然なのはこれをモースの書画帖に揮毫した矢田部良吉夫人である矢田部順(彼女は柳田國男の妻孝の長姉である)の雅号と考えると腑に落ちる(一見、自らを「女史」と名乗るのは奇異に思われるがやはり古い教え子から上村松園も「松園女史」という雅号を持つことを教えられたので問題ない)。ともかくも教え子のネットワークの素晴らしさを実感した。あとは矢田部夫人順の雅号が分かれば解決しそうなのだが、ネット上の探索ではこれはどうも無理のようだ。】]