日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十五章 日本の一と冬 烏/独楽/竹馬
鳥、殊に烏が如何に馴れているかを示す事実が、もう一つある。私の車夫が人力車の後に灯をぶら下げておいた所が、人力車から三フィートとは離れていない所で私が外套を着ているのに、烏が一羽下りて釆て、車輪にとまり、紙の提灯に穴をあけてその内にある植物性の蠟燭を食って了った。私は烏にそれをさせておいた。このような経験をする為には、百個の提灯や百本の蠟燭の代価を払ってもよい。烏は実際街頭の掃除人で、屢々犬と骨を争ったり、子供から菓子の屑を盗んだりする。日本の画家は、行商人が頭に乗せた籠から魚をさらって行く烏を描いた。烏は不親切に取扱われることがないので、非常に馴れている。まったく、野獣もすべて馴れているし、家畜は我国のものよりもはるかに人に馴れている。
[やぶちゃん注:「三フィート」九十一センチメートル。]
図―464
昨今(十一月)子供達は紙鳶(たこ)をあげ、毬(まり)あそびをし、独楽(こま)を廻している。彼等は我国の男の子達と同じ様に、木製独楽に戦いをさせるが、形は図464に示すように、我々のとは違っていて、そして他人の独楽を裂こうとする代りに、どの一つかが回転を止める迄、独楽同志を押しつけ合せる。毬遊びは、毬を地面にぶつけ、それを手の甲で受けて再び跳ねかえらせ、この事を最も多くやり得る者が勝つ。
[やぶちゃん注:「我々のとは違っていて」町田良夫氏のサイト「日本の独楽 & 世界の独楽 写真集」の「世界の独楽」で多様なそれらが見られる。必見。]
図―465
男の子供は、我国のと同様、棍脚(たかあし)に乗って歩くことが好きである。棍脚はチクバと呼ばれるが、これは文字通りに訳すと「竹馬」である。子供の時からの友達のことを「チクバ ノ トモダチ」即ち「棍脚友」という。図465は棍脚の二つの型を示しているが、その一つは紐で二つの木片を竹に縛りつけたものである。足をのせる部分は、足に対して直角でなく、縦についているから、足の裏が全部それに乗る。もう一つは全部木で出来ていて、これは数がすくない。棍脚の高さは四、五フィートに達することもあり、子供達は屢々片方の梶脚でピョンピョンはねながら、他の棍脚で敵手を引き落そうとして、盛な競争をやる。
[やぶちゃん注:「四、五フィート」一・二~一・五メートル。
「足をのせる部分は、足に対して直角でなく、縦についているから、足の裏が全部それに乗る。」原文は“The rest for the foot, instead of being transverse to the foot, is
lengthwise, so that the whole sole of the foot is supported.”この「縦」という訳が曲者で、昔ながらの竹馬の作り方を調べて見ると、これは竹馬が載った際に、足台その体重で丁度、足に対して直角になるように、結んだところの反対側の端が上に向かって鋭角的になるように作ることを指している。即ち足台が直角でなく、「縦方向」に角度をもって付けられていることを指しているものと思われる(実際、収納する際に固定部分が可動式になっていて、足に足台が平行に収納出来る(一本の棒になる)古式の竹馬さえもあることが分かった)。因みに、私は竹馬をやったことがない救い難い文弱である。]
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