飯田蛇笏 山響集 昭和十二(一九三七)年 冬 Ⅱ
倦怠の眼に涙する圍爐裡かな
爐火愉し柴もて鍋の芋さしぬ
爐話しばし茶うけに賤がふくみごゑ
[やぶちゃん注:「賤」や山賤(やまがつ)、木樵りであろう。]
雪眼の子ねだれる錢をねぶりけり
杣の子が喰ひふくみて歳の暮
山地蕎麥掛け干す樹々に初しぐれ
瀧きほひ蘭の實枯れて時雨雲
[やぶちゃん注:「きほひ」は「気負ふ」で瀧水が雪崩うって下るさまを意気込むようにと擬人化したものであろう。また、「競(きほ)ふ」で先を争うようにという意も含めてよかろう。]
しばらくは霰ふりやむ楢林
寒の内まくらのにほひほのかなる
峯の木に鵯とびはずむ雪颪
淺草の寒晴るゝ夜の空あはれ
鼻さきに冬演劇の灯が噎ぶ
サーカスの娘が夜食攝る脂粉かな
肩蒲團ねむる容色おとろへぬ
河竹の身に韓紅の肩蒲團
[やぶちゃん注:「河竹の身」は「浮き河竹」で、定まりのない、つらいことの多い身の上を水に浮き沈みする川辺の竹に喩えて、「浮き」に「憂き」をも掛けた語。遊女の境遇を指す。「韓紅」は「からくれなゐ」と読む。唐紅。鮮やかな濃い紅色のことで、深紅の色を指す(「韓」は舶来の意であるが、ウィキの「唐紅」には、『通常舶来の意味を込めて呼んだものとされるが、色彩研究家の長崎盛輝は「赫らの紅」(赫らとは照り映えるような様子。色が鮮やかで明るいこと。赤みが強いこと)赤を強調する「あから」の略、又は転訛と言う説をとっている』とし、『唐・韓は当て字』とする。]
積雪に古典を愛し煖爐焚く
冬薔薇土の香たかくなりにけり
秋うつり寒去る阜の墳土かな
[やぶちゃん注:「寒去る」は古語で寒気が近づく。「阜」は「をか(おか)」と訓ずる。丘。]
寒中や柴の蟲繭あさみどり
[やぶちゃん注:これは天蚕(てんさん)とも呼ぶチョウ目ヤママユガ科ヤママユガ亜科ヤママユ(山繭)
Antheraea yamamai の羽化(八、九月)してしまった後の繭の殻ではあるまいか。鮮やかな緑色をしている。「富山市科学文化センター」公式サイトの「天蚕」には『冬に、コナラなどの雑木林に行くと、葉を落とした枝にヤママユの羽化してしまったマユがぶら下がっているのがよく見つかります。その近くの枝を探してみると、たいていヤママユの卵が見つかります』とある。但し、私は昆虫が苦手なので、その殻が冬まで緑色を保持しているかどうかは分からぬ。識者の御教授を乞う。一応、グーグル画像検索「ヤママユ 繭」をリンクしておく。この幾つかの画像を見ると、秋若しくは初冬の頃と思しい画像が含まれており、その繭の色はまさに「あさみどり」のものがある。]
藪の樹に曉月しろみ木菟の冬
「穢土寂光」版成る
さむうして水洟すゝるひとりかな
[やぶちゃん注:「穢土寂光」は昭和一一(一九三六)年刊の飯田蛇笏の随筆集。何故、この句が昭和十二年の冬に配されているかは不明。
この句、私には遠く芥川龍之介の辞世、
水洟や鼻の先だけ暮れ殘る
と響き合わせているとしか思われない。]
落葉なき合歡の下霜とけやらぬ
山爐寒夜三昧
寒を盈つ月金剛のみどりかな
師走八日、川上保宇長逝
初しぐれ保宇歸寂することのよし
[やぶちゃん注:「川上保宇」不詳。「歸寂」とあるから懇意の僧であることは分かる。]
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