龍舌蘭 山之口貘
龍舌蘭
熱帯うまれの
龍舌蘭が
植物園の温室に泊ってゐた
龍舌蘭はいつも緑で
ぐるりのみんなが紅葉に着替えても
ひとりいつでも緑のまゝだった
ある日
雪が降った
龍舌蘭は雪を見たいとおもった
龍舌蘭は雪を見たことがなかった
そして温室から飛び出さうとした
すると園長さんがびっくりして
風邪をひくから
およしなさいと云った。
[やぶちゃん注:削除線は底本の思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」の解題に書かれてある推敲跡の解説を復元したものである。
拗音表記と内容からは明らかに戦後の詩で、しかも詩想からは児童詩である。
戦後のバクさんの詩の中で「龍舌蘭」が詠み込まれているのは実はバクさん五十歳の折りの懐旧の望郷詩「耳と波上風景」しかない(初出は昭和二八(一九五三)年三月発行の『おきなわ』。バクさんの帰郷はその五年後の昭和三三(一九五八)年十月であった。因みに戦前では「南方」(初出は昭和一〇(一九三五)年十一月号『文藝』)一篇のみ)。
バクさんの現認されている戦後の最初の児童詩は、昭和二八(一九五三)年九月号『中学生の友』(小学館)に掲載された「腕ずもう」で、そこでは既に拗音表記が行われている(但し、この後の詩でも拗音表記の行われていないものもある)。
本作は沖繩を詠ったものではない。しかし、それを字背に感じさせる。バクさんは沖繩を児童詩では詠み込んでいない。従って、この「龍舌蘭」は一種の特異点に近いものであると言える。
これは擬人法を用いている点でも児童詩のみならず、バクさんの詩篇の中では比較的珍しいタイプである。しかもその比喩は沖繩を飛び出して、いっかな、帰りたくても帰れぬバクさんのジレンマをネガとしているように私には見える。
以上から私は、本作は「腕ずもう」と同時期、昭和二八(一九五三)年前半に創作された、バクさんの児童詩の実験的作品(試行錯誤)の一つではなかったかと推理するものである。]

