橋本多佳子句集「海彦」 青蘆原 Ⅰ
青蘆原
博多天狼大会の為め自鳴鐘に招かれて、
西東三鬼氏と西下す。恰もどんたく祭に
当る
旅の歩みどんたくしやぎりに替へる
[やぶちゃん注:昭和二六(一九五一)年五月、博多で催された『天狼』三周年記念博多大会に出席した際の句。前句集「紅絲」の末尾の句群もその折りのもので、句集としての連関性を高める。年譜には日付がないが、この前書の博多どんたくの祭日であったという記載によって、少なくともこの句以下の三句は五月四日或いは五日の景であることが分かる。「自鳴鐘」は「じめいしょう」と読み、横山白虹主宰の俳誌。詳しくは先の句集「紅絲」の「由布高原」の私の注を参照されたい。
「しやぎり」「しゃぎり」は、本来は歌舞伎の下座音楽の一つで、一幕が終わるごとに太鼓・大太鼓・能管で奏する(最終幕には奏さない)、ものを指すが、そこで使われる当たり鉦(がね)所謂、摺り鉦の意から、さらにそれを用いることが多い各種の祭りの邌物(ねりもの:祭の中で町中を練り歩く行列や山車(だし)など)の行列に奏する囃子(はやし)をも言うようになった。調べて見ると博多どんたくではそうした行列の中の囃子方の集団を「しゃぎり隊」と呼んでいるようである(他の資料では「余興隊」「通りもん」などともある)。また、ウィキの「博多どんたく」によれば、古来の博多どんたくの核心は実はまさにこの囃子にあるとあり、『博多どんたくの起源であり中核といえる選択無形民俗文化財の博多松囃子は、福神流、恵比須流、大黒流、稚児東流、稚児西流が「博多松ばやし振興会」を組織し、それぞれの当番をつとめる』とある。因みに「どんたく」は日本語ではない。ウィキの「どんたく」によれば、『どんたくとはオランダ語で日曜日を意味するzondagの訛りである。ぞんたくとも。zonは太陽、dagは日を意味し英語のsunday同様、ラテン語名のひとつdies solisの直訳である。現代オランダ標準語での発音は[zɔndɑx]でゾンダッハに近い』。『オランダ語由来の外来語は多くが江戸時代に使われ出しているがこの語は比較的新しく、明治初期に使われ出した。まだ曜日自体が普及していなかったせいか、日曜日から転じて休日を意味するようにもなった』とあり、また、博多どんたくについては、『起源は平安時代末にまで遡ると言われ』、『名称は明治時代に松囃子が禁止されて』(理由はウィキの「博多どんたく」によれば「金銭を浪費し、かつ文明開化にそぐわない」というものであった)、後の明治一二(一八七九)年頃に『再開されたときに付けられたと言われる』とある。]
どんたくの仮面はづせし人の老い
[やぶちゃん注:「仮面」ウィキの「博多どんたく」の「どんたく関連用語」に「肩裏(すらせ)」という項があり、これは行列の中の多様な衣装演出の一つで、『羽織を裏返して着ることであり、粋な着こなしとしてどんたくで目にする。これにかるさん袴を合わせ、背に「預かり笹」を挿し、頭には頭巾あるいは博多にわかのにわか面を付けるのがポピュラーな出で立ち』とある。「かるさん袴」とは中世末に来日したポルトガル人が穿いていたものに似せて筒を太く、裾口を狭くした袴のこと。江戸時代の武士の旅装や大工などの仕事着として用いられた。「預かり笹」福岡商店街のブログ「あちこち聞きある記」の「「博多どんたく」”通りもん広場”で待っとーよ!(上川端商店街)」に、画像入りで、『この笹は「預かり」と言われ、長さ1メートルほどの笹枝に、赤で大きく『のし』と書いた半紙や紙風船、にわか面などを結んだもの。祝いに来て頂いた気持ちを預かるという意味です』。『昔はまんじゅう何個、酒一合、などと書いて自分の店のハンコを押し、自慢の芸をして帰るときに渡した、とあります。貰った人は指定のまんじゅう屋などへ行って現物と代えてもらったそうです』。『訪れてもらったご好意を確かに「お預かりした証拠の文書」というのが、その名の由来でしょう』と解説がある。博多商人の心意気の現われである、ともある。「博多にわかのにわか面」「博多にわか」は博多地方で行われる即興の寸劇を伴う話芸で(詳細は「郷土芸能 博多にわか 入門」の「博多にわかとは」を参照)、「にわか面」とはそこで用いられる顔の上半分に装着する半面(はんめん)のことを指す。同じく「郷土芸能 博多にわか 入門」の「にわかの面」をご覧あれ。ああ、あれ! と合点され、同時にこの多佳子の句の意も俄然明瞭となるであろう。]
どんたく囃子玄海に燈を探せどなし