耳嚢 巻之八 深情自然に通じ蘇生せし事
深情自然に通じ蘇生せし事
大阪にての事とや、輕き町家の者、はやうちかたといへる病ひにて俄(にはか)に身まかりぬ。五六歳の小兒妻斗(ばかり)ゆゑ、念佛講なかま或は店請(たなうけ)など寄(より)て、早桶(はやおけ)といへるものへ死骸を入れんと、沐浴(もくよく)し頭を僧形(そうぎやう)に剃りしに、剃(そり)落す髮、襟の廻りにこぼれちりしを、彼(かの)小兒見て、そり落し候髮のえりへ付(つき)候はゞ、さぞいたかるべし、とりて給はれと、己(おのれ)が月代(さかやき)の肌に付(つき)しを覺へてや、しきりに申けれど、死せし者、何かゆきことあらんと不用取(とりもちひざる)に、頻りに歎きけるゆゑ、心あるおのこ、かれがかくまで申(まうす)なればとりてやらんと、かみそりを以て襟の所を毛をとるとてあやまつて切込(きりこみ)ければ、黑血(くろち)沸出(わきいづ)るにしたがひ、死人(しびと)うんといふて息出ぬ。夫(それ)より養生なしけるに無程(ほどなく)全快して、元の如くたつきをもなしけるが、彼小兒は後々まで至孝にて、人も愛し、仕合(しあはせ)もよろしかりしと也。
□やぶちゃん注
○前項連関:死者の詠んだ和歌から死者蘇生の怪談で連関。事実譚として読める。
・「はやうちかた」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『はや打肩』とある。早打ち肩で、急に肩が充血して激痛を感じ、動悸が高まって人事不省になる病気。うちかた。はやかた。一種の循環器障害。岩波の長谷川氏注は『狭心症』と注する。
・「念佛講」浄土宗や浄土真宗の信者が集まって念仏をする集い。多くは親睦をかねて毎月当番の家に集まって念仏を勤める一方、掛金を積み立てておき、会食や葬式などの費用に当てた。
・「店請」借家人の身元保証人。
・「早桶」粗末な円筒形の棺桶。手早く作れることに由来。
・「月代」通常は成人男子が額から頭の中ほどにかけて髪を剃ること、また、その部分を言うが、ここは唐子(からこ)や芥子坊主のようなくりくりに剃る子供の髪型を作る際の剃り落ちた毛のことを指している。
■やぶちゃん現代語訳
深き愛情が自然に通じて蘇生した事
大阪にてのこととか。
軽(かろ)き身分の町家の者が、「早や打ち肩」と申す病いにて、俄かに身罷ったと申す。
残された者は、五、六歳の小児と妻ばかりのことゆえ、念仏講仲間や店請(たなう)けの者なんどが弔いに訪れ、早桶(はやおけ)と申すものを買い入れ、葬送の準備を致いた。
さても死骸を早桶の中(うち)に入れようという仕儀となり、集った者どもが沐浴させ、頭も僧形に剃って御座った。
その折り、剃り落しておる髪の毛が、あまた、死人(しびと)の襟の周りに零れ散ったを、かの遺児なる子(こお)が見、
「……剃り落しとる髪が……あんなに襟についとる。……あんなんやったら、さぞ、お父(とう)は、痛いに決まっておろう……ね……どうか、とってあげて……」
と、自分が父に頭を剃って貰ろうた折り、その髪の毛が肌にちくちくと刺さって痛かったことでも思い出したものか、頻りに乞うのであった。
しかし、剃り役の者は、
「……坊(ぼん)……死んでもうた者(もん)じゃ。……何んで、痒いことの、あるかいな……」と一向に取り合わなんだ。
それでも、何度も何度も、頻りに歎願したによって、傍らに御座った男が不憫に思い、
「……坊(ぼん)が、ああまで言うとるんや。一つ、とってやろうやないか。」
と、剃り終えた剃刀を手に執ると、襟の所に残りついた髪の毛を擦り取ろうとした。
ところが、ふとした弾みで誤って、肩筋の堅い辺りに刃先を切り込んでしもうた。
――と
――どす黒い血(ちい)が
――パアーッ
と
――湧き出でた
……湧き出でたかと思うと
――死人(しびと)
「……ウ……ウンッツ!!!」
――と呻(おめ)いたかと思うと
――何と、息を吹き返して御座った……。
……それより養生して、ほどのぅ全快致し、元通りの生業(たつき)にも戻れたとのこと。
かの小児は成人の後々までも親孝行を尽くし、父母ばかりではなく、誰にでも心から優しく接し、幸多き人生を暮した、とのことで御座った。
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