『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より金澤の部 瀨戸辨財天
●瀨戸辨財天
瀨戸辨財天は。瀨戸明神の前より。道を隔てゝ南、海中へ築出したる小島に在り。昔賴朝夫人平政子。近江國竹生島の神を鎮祀(ちんし)したりといふ。入口の岸に石あり。福石といふ。金澤四石の一なり。千代本の主婦の語る所に據(よ)れは。賴朝公瀨戸明神日參の際。此石に衣服をかけ。こりをとられたる故。御服の石と稱すといへり。
[やぶちゃん注:瀬戸神社の鳥居を出た正面の平潟湾に延びる突堤の先端に、赤橋で繋がる円形をした琵琶島(かつては琵琶の形をしていたとされるが、むしろ後掲するように元の神社が琵琶湖竹生島にあったことに由来するのではあるまいか)にあり、現在は琵琶嶋神社と呼称し、瀬戸神社摂社で現在は瀬戸神社の境内とされている。滋賀県長浜市の竹生島にある都久夫須麻(つくぶすま)神社にある神社。祭神宗像三女神の一柱市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)であるが、後に仏教の弁才天と習合、本地垂迹説において同神とされた。主に参照した瀬戸神社公式ページには瀬戸弁天は『通称』としている。立位の神像及び祭祀者政子の夫頼朝が流人から身を起こして征夷大将軍となったことに因んで立身弁財天、また港湾地区の海上安全の信仰から千客万来を意味する舟寄弁財天という別称も持つ。
「昔賴朝夫人平政子。近江國竹生島の神を鎮祀したりといふ」但し、そうした事実はおろか、「吾妻鏡」にはこの神社自体が載らない。
「福石」金沢四石の一つ。横浜金沢観光協会公式サイトの「琵琶島神社」によれば、現在は『参道入口の右側に』あるが、『もともと左側の海中にあった』が、昭和四一(一九六六)年の国道十六号線『拡幅工事の際に現在地へ移設され』たとある。写真はこちらを。
「こり」垢離。懸けた服に潮水をかけて禊をして参拝したことを意味する。「江戸名所図会」の「瀬戸弁財天」の図を掲げておく。
既に福石は海中に没している模様である。]
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