今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 59 高田 薬欄にいづれの花をくさ枕
本日二〇一四年八月二十二日(陰暦では二〇一四年七月二十七日)
元禄二年七月 八日
はグレゴリオ暦では
一六八九年八月二十二日
である。この日、高田に着き、二日間滞在して十一日に能生(現在の新潟県糸魚川市大字能生。その翌十二日が市振となるのである)に発った。高田では医師細川春庵(俳号は棟雪)なる人物が何かと心遣いをしてくれ、本句を発句とした歌仙「薬欄を」一巻を二日で巻いている(実際の宿泊先は池田六左衛門方)。
細川春庵亭ニテ
薬欄(やくらん)にいづれの花をくさ枕
越後の國高田醫師何(なにが)しを宿として
藥園にいづれの花を草枕
[やぶちゃん注:第一句目は「曾良俳諧書留」の、第二句目は「泊船集」の句形。「曾良随行日記」に、
○八日 雨止。欲立、強テ止テ喜衞門饗ス。饗畢、立。未ノ下尅、至高田ニ。細川春庵ヨリ人遣シテ迎、連テ來ル。春庵ヘ不寄シテ、先、池田六左衞門ヲ尋。客有。寺ヲかリ、休ム。又、春庵ヨリ狀來ル。頓而尋。發句有。俳初ル。宿六左衞門、子甚左衞門ヲ遣ス。謁ス。
○九日 折ゝ小雨ス。俳、歌仙終。
○十日 折ゝ小雨。中桐甚四良ヘ被招、歌仙一折有。夜ニ入テ歸。夕立ヨリ晴。
○十一日 快晴。巳ノ下尅(暑甚シ。)、高田ヲ立。五智・居多ヲ拜。名立ヘ狀不屆。直ニ能生ヘ通、暮テ着。玉や五良兵衞方ニ宿。月晴。
とあるように、この春庵という人物、恐らくは芭蕉来訪の情報を事前に得ていて、事前に準備していたことがこの記載からも分かる。歌仙では、
薬欄(やくらん)にいづれの花をくさ枕 翁
荻のすだれをあげかける月 棟雪
と亭主が脇を付けている。
「藥欄」は薬草園のこと。医師の亭主に対して相応しい挨拶句である。そうしてそれまでの越後路でのおぞましい現実への芭蕉の憤りと憂鬱がやや落ち着きを取り戻したかのような寛ぎの感じも伝えているように私には思われる。
さすればこそ遂に満を持して小説的章段「市振」の段がこの直後に生まれるのであるが(但し、諸本から推すと、本文は勿論、「一つ家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月」というかの吟も市振での即吟ではなく、旅を終えて本文を書いた折りの作かとも言われる)……既に気づかれた方もいるであろう……この棟雪の付けた脇……「荻のすだれをあげかける月」――「荻」と「月」である……妙に気になるのである……]