飯田蛇笏 山響集 昭和十二(一九三七)年 冬 Ⅰ
〈昭和十二年・冬〉
箆麻(たうごま)の實のねむるよりはつしぐれ
[やぶちゃん注:「箆麻」ヒマ(蓖麻)。種子から得られる下剤蓖麻子油(ひましゆ)及び種に含まれる猛毒のタンパク質リシン(ricin)、また広く観葉植物としても知られるトウダイグサ目トウダイグサ科トウゴマ(唐胡麻) Ricinus communis 。参照したウィキの「トウゴマ」には『学名の
Ricinus はラテン語でダニを意味しており、その名のとおり果実は模様と出っ張りのためダニに似ている』とある。グーグル画像検索「Ricinus communis」で納得。]
嶺(ね)を斜(はす)に日のどんよりと冬かすみ
八重山に遠嶺そびえて獵期來ぬ
雲を出靑鷹北に狩の場
大榾火けむらはで炎のあるきゐる
山雪に機織る箴のこだまかな
[やぶちゃん注:「箴」「はり」(針)と読んでいるか。この機織り機は古式のものでは、緯糸を手指を用いて経糸の間に実際の針で縫い入れていた。後には知られる、緯糸を織り込むための木犀器具である梭(杼。「ひ」又は「おさ」と読む。シャトル。)となったが、ここの「箴」は「こだま」からも古式のそれではなく、やはり梭である。]
寒來り雲とゞこほる杣の墓
甕埴瓮(みかはにべ)冬かすみして掘られけり
[やぶちゃん注:「甕埴瓮」この文字列では検索にヒットしないが、「埴」は肌理の細かな黄赤色の粘土。瓦・陶器の原料とする赤土のことで、「埴瓮」はまさにその「埴」で作った器を指す。一方、「大辞泉」によれば、「甕(みか)」(「み」は接頭語或いは水の意か。「か」は飲食物を盛る器の意)は昔、主に酒を醸造するのに用いた大きな甕(かめ)とあるから、私はこれは、弥生時代以降の有意に大きな水甕(そのために頭に「甕」をわざわざ配した)の遺物を発掘している景と読む(蛇笏には考古学的な遺物遺跡を詠んだ句が他にもある)。]
霜枯れの荏を搖る風に耕せり
[やぶちゃん注:「荏」はエゴマ。既注。ここは「エ」と音で読んでいるか。]
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