日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十四章 函館及び東京への帰還 23 東京帰還 ~ 第十四章 了
晩の七時頃、我々は東京から六十七マイルの宇都宮へ着いた。ここは私が七月に東京を出てから、初めて見る馴染(なじみ)の場所なので、家へ帰ったような気がした。去年日光へ行く途中、我々はここで一晩泊ったが、今度も同じ宿屋に泊り、私は同じ部屋へ通された。最初にここを訪れてから今迄の短い期間に、米国へ往復し、蝦夷へ行き、陸路帰り、そして、日本食を単に賞味し得るのみならず、欲しい物は何でも日本語で命令することが出来る位日本料理に馴れ、おまけにあらゆる物が全然自然と思われる程、日本の事物や方法に馴れたということは、容易に理解出来なかった。
[やぶちゃん注:矢田部日誌では喜連川を経て、宇都宮に着いたのは八月二十六日午後六時であった。ここまで注釈してきた私としても、モースの感懐が心に沁みるものとして実に共感されるのである。
「六十七マイル」約百八キロメートル弱。流石に「馴染」みのところだけに正確である。]
図―459
駅馬車は翌朝六時に出発した。乗客はすべて日本人で、その中には日光へ行き、今や東京の家へ帰りつつある二人の、もういい年をした婦人がいた。彼等は皆気持がよく、丁寧で、お互に菓子類をすすめ合い、屢々路傍の小舎からお茶をのせて持って来る盆に、交互に小銭若干を置いた。正午我々は一緒に食事をしたが、私は婦人連の為にお茶を注いで出すことを固執して、大いに彼女等を面白がらせた。また私は、いろいろ手を使ってする芸当を見せて、彼等をもてなし、一同大いに愉快であった。この旅館で私は婦人の一人が午後の喫煙――といった所で、静に三、四服する丈だが――をしている所を写生した(図459)。この図は床に坐る時の、右足の位置を示している。左足はそのすぐ内側にある。足の上外部が畳に接し、人は足の内側と、脚の下部との上に坐る。
[やぶちゃん注:明治一一(一八七八)年八月二十七日。矢田部日誌によれば馬車による宇都宮発は五時、浅草には午後六時十五分に着いている。なお、ここに出る図459の正座して煙草を吸う婦人のスケッチは後に、“Japanese Homes and Their Surroundings”の“CHAPTER
III. INTERIORS.”の“MATS.”(畳)の“FIG.
102. ATTITUD OF WOMAN IN SITTING.”でより綺麗にリライトされている。『日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二章 日光への旅 7 行灯 附“Japanese
Homes and Their Surroundings”より「畳」の原文・附図と私の注』に原文と図を示してあるのでご覧になられたい。]
図―460
図460は宇都宮の旅館の後の庭にあるイシドーロー、即ち石の燈籠である。上部は一個の石塊から造り出し、台も同様で、木の古い株を現している。生えた苔から判断すると、この石燈籠は古いものである。我々は日本の町や村の殆ど全部に、美事な石細工、据物細工、その他の工匠の仕事があるのに驚く。これは彼等の仕事に対して、すぐれた腕を持つ各種の職業に従事する人々が、忠実に見習期間をすごして、広く全国的に分布していることを示している。
昼、我々はまた利根川に出て、大きな平底船で渡り、再び数マイルごとに馬を代えながら、旅行を続けた。東京へ近づくにつれ、特にこの都会の郭外で、私は子供達が、田舎の子供達よりも、如何に奇麗であるかに注意した。この事は、仙台へ近づいた時にも気がついた。子供達の間に、このような著しい外観の相違があるのは、すべての旅館や茶店が女の子を使用人として雇い、これ等の持主が見た所のいい女の子を、田舎中さがし廻るからだろうと思う。彼等は都会へ出て来て、やがては結婚し、そして彼等の美貌を子孫に残し伝える。これはすくなくとも、合理的な説明であると思われる。
[やぶちゃん注:磯野先生の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」の「19 北海道・東北旅行」の章の掉尾には、現存する東京大学から文部省に宛てたこの時の事後旅行報告書が引用されている。磯野先生の真似をして本「第十四章 函館及び東京への帰還」の掉尾としよう(例によって恣意的に正字化し、一部に私の読みを歴史的仮名遣で追加した)。
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「動物見本採集幷(ならびに)學術研究ノ爲メ七月十三日發程(はつてい)、往復五十日間ノ期限ヲ以テ横濱ヨリ海路渡島國函館ニ到リ上陸、該地近傍ヲ經廻(けいくわい)シ、尋(つい)デ後志(しりべし)胆振(いぶり)石狩國ノ各郡ヲ廻歷シ、順路函館ニ歸リ、同所ヨリ陸奧國靑森ニ渡リ、夫ヨリ盛岡ニ出テ北上川ヲ上リ、鹿又村ヨリ上陸シテ順路陸前國仙臺ニ到リ、奧州街道ヲ經テ歸京」
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