橋本多佳子句集「海彦」 片蔭
片蔭
松蟬の中に帰り来(く)こゝよしと
[やぶちゃん注:「松蟬」半翅(カメムシ)目頸吻亜目セミ型下目セミ上科セミ科セミ亜科ホソヒグラシ族ハルゼミ Terpnosia vacua の別名。ヒグラシを小さく、黒くしたような外見で翅は透明だが、体はほぼ全身が黒色か黒褐色をしている。参照したウィキの「ハルゼミ」によれば、『ある程度の規模があるマツ林に生息するが、マツ林の外に出ることは少なく、生息域は局所的である』とあり、『日本では、セミの多くは夏に成虫が現れるが、ハルゼミは和名の』四月末から六月にかけて発生する(そこから季語としては晩春から初夏に相当する)。『オスの鳴き声は他のセミに比べるとゆっくりしている。人によって表現は異なり「ジーッ・ジーッ…」「ゲーキョ・ゲーキョ…」「ムゼー・ムゼー…」などと聞きなしされる。鳴き声はわりと大きいが生息地に入らないと聞くことができない。黒い小型のセミで高木の梢に多いため、発見も難しい』とある(pararira18 氏の「ハルゼミの声」をリンクさせておく)。]
青蜥蜴吾ゆかねば墓乾きをらむ
帯ゆるく片蔭をゆくもの同士
[やぶちゃん注:「片蔭」は午後の日差しが建物や塀などに影をつくることをいう。大正以降によく使われるようになった晩夏の季語。]
洗ひ浴衣ひとりの膝を折りまげて
髪につく蟻緑蔭も憩はれず
青蚊帳の粗(あら)さつめたさ我家なる
真夜起きゐし吾を油虫が愕く
青蟷螂燈に来て隙間だらけの身
倒るるも傾くも向日葵ばかりの群
一粒を食べて欠きたる葡萄の房
額(がく)碧し聞きたる道をすぐ忘れ
近くに住みながら右城暮石さんにいつも会へず
七月の螢ひと訪ふまたこの季(とき)
[やぶちゃん注:「右城暮石」(うしろぼせき 明治三二(一八九九)年~平成七(一九九五)年)は俳人。高知県長岡郡本山町字古田小字暮石の生まれ(俳号は出身地の小字の名)で本名は斎(いつき)。大正七(一九一八)年大阪電燈に入社、二年後の大正九年に大阪朝日新聞社俳句大会で松瀬青々を知り、青々の主宰誌『倦鳥』(けんちょう)に入会、昭和二一(一九四六)年に『風』『青垣』同人となり、後に『天狼』同人となった。多佳子の本句創作と同時期(本句群末尾クレジット参照)の昭和二七(一九五二)年『筐』(かたみ)を創刊、昭和三十一年にそれを『運河』と改名して主宰した。
昭和四六(一九七一)年に第五回蛇笏賞受賞。新興俳句の一翼をになった俳人として知られるが、晩年は天狼調の温厚な作風となった(以上はウィキの「右城暮石」に拠った)。句を引いておく。
冬浜に生死不明の電線垂る 暮石
裸に取り巻かれ溺死者運ばるる 暮石
散歩圏伸ばして河鹿鳴くところ 暮石]
巣があれば素直に蜂を通はせる
仔鹿追ひきていつか野の湿地ふむ
踊りゆく踊りの指の指す方(かた)へ
(二十七年)
[やぶちゃん注:多佳子はこの昭和二七(一九五二)年の四月(満五十三歳)には、心臓に変調をきたし、平畑静塔に往診して貰った結果、心臓ノイローゼ(心臓神経症)と診断されている。]
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