今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 53・54 酒田 初眞桑四にや斷(わ)らん輪に切らん / 花と實と一度に瓜のさかりかな
本日二〇一四年八月 八日(陰暦では二〇一四年七月十三日)
元禄二年六月二十四日
はグレゴリオ暦では
一六八九年八月 八日
である。この日は酒田の最後の夜で、「曾良随行日記」に『晴。近江ヤ三良兵(さぶろべ)ヘヘ被ㇾ招。夜ニ入、即興ノ発句有』と記す句である。近江屋というのは富豪で酒田三十六人衆の一人、俳号を玉志といった。この時、芭蕉・曾良・不玉・玉志の四人であった。
あふみや玉志亭にして、納涼の佳興に瓜を
もてなして、發句をこふて曰、句なきもの
は喰(くふ)事あたはじと戲(たはぶれ)
ければ
初眞桑(はつまくは)四(よつ)にや斷(わら)ン輪に切(きら)ン
初眞瓜四ツにやわらん輪にやせむ
初眞桑たてにやわらん輪に切ん
[やぶちゃん注:第一句目は真蹟詠草の、第二句は「うき世の北」(可吟編・元禄九年)の、第三句は「泊船集」の句形。]
花と實と一度に瓜のさかりかな
[やぶちゃん注:「芭蕉翁追悼 こがらし」「泊船集」「浪化壬申日記」(自筆・元禄五~八年)に載り、「蕉翁句集」(=蕉翁文集第一冊「風一」・土芳編宝永六(一七〇九)年成立)で元禄二年の作とする。一応、瓜繋がりでここに配しておく。山本健吉氏は「芭蕉全句」で『これでは何の奇もないので、何かの事情』『たとえば、ある親と子と一度に身の栄えにあったような時にそれを祝って詠んだ句かもしれない』とする。仮にこの前の句と同じ席とすれば、饗応役の近江屋三郎兵衛玉志への祝祭の挨拶句という仮定は一応、出来そうだ。]
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