今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 50 象潟 ゆふばれや櫻に涼む波の花
本日二〇一四年八月 二日(陰暦では二〇一四年七月七日)
元禄二年六月十七日
はグレゴリオ暦では
一六八九年八月 二日
である。【その二】西行桜での一句が残る。
西行櫻 西行法師
象潟の櫻はなみに埋(うづも)れて
はなの上こぐ蜑(あま)のつり船
花の上漕(こぐ)とよみ玉ひけむ古き
櫻も、いまだ蚶滿寺(かんまんじ)の
しりへに殘りて、陰-波(かげなみ)
を浸せる夕晴(ゆふばれ)いと涼しか
りければ
ゆふばれや櫻に涼む波の花
[やぶちゃん注:「継尾集」所収の句。「曾良俳諧書留」には、
夕ニ雨止て、船ニて潟を廻ル
と前書する。また「菅菰抄附録」には、この句は真蹟が越中井波にあるとし、そこでは、『象潟西行櫻にて』と前書した上、『夕がた雨やミて處の何がし舟の中を案内せらるゝ』と附記するとあるが意味をなさない。「ねぶの雪」(立国編・元文四(一七三九)年刊)「道しるべ集」(也足編・慶応二(一八八六)年序・真蹟模刻本)では、
夕方雨やみて處の何がし、舟にて江の中を案内せらるゝ
とあるのが正しい。また、別に真蹟懐紙が残り、そこでは、
夕晴
と前書するとある。
伝西行の和歌については前の「象潟や雨に西施がねぶの花」の私の注を参照されたいが、桜の古木蔭に夕涼みするこの芭蕉は、「波」を「花」と見立てて西行の古歌を偲んで西行と自身を重ね合わせると同時に、前書に謡曲「西行桜」を通わせて、桜の老い木の精と自身をも一体化させて而してその影をも消滅させ、波の花が涼やかな舞いを舞っていると幻想しているように私には感じられる。]
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