耳嚢 巻之八 亡靈の歌の事
亡靈の歌の事
奧州或諸侯の藩中、勤番にて江戸詰せしが、在所には母と妻のみ留守せしに、暫く音信もなくて過(すぎ)しに、或夜夢幻(ゆめまぼろし)となく枕に寄(より)て呼(よび)起す者あり。起(おき)あがりて是を見るに、在所の妻なるゆゑ大きに驚き、いかなれば爰に來る、山海を隔(へだ)て女の可來(くるべき)事にあらずと尋(たづね)しに、漸々言葉を出し、あまりなつかしきゆゑに來りぬ、實はわれら今は此世になき魂なり。夫(それ)はいかなるわけにやと尋ければ刄(やいば)にかゝり變死せし由をのべけるゆゑ、子細尋んと思ふ内消失(きえうせ)ぬ。さるにても不思議なる事なり、全(まつたく)夢ならんと思へば夢にもあらず、在所の事いかゞあるやと心をくるしめ、夫(それ)となく母と妻とへ、替る事もあらじやと文したゝめ、近親の者ありしゆゑ其許(そこもと)へも書狀達しけるが、しばらくありて母の許より返事來りけるに、女房事出立後不身持にて行衞なくなりし由、密(ひそか)に尋れど今に知れずと申來(まうしきたり)、親類のもとよりも其趣申越(まうしこし)ぬるゆゑ、さては夫ゆゑにこそ便りもあらざりし、さるにても、妻が行跡(ぎやうせき)の不埒さよと、思ひ續けて臥しぬ。其夜又彼妻が亡魂來りてさめざめと泣(なき)て言(いひ)けるは、古郷(ふるさと)の御たよりもありしやと申(まうす)ゆゑ、なる程たよりありしが、汝はみそか事ありて出奔せしよし申ければ、彼(かの)妻さめざめと泣て、我身聊かあやまちなく、おん身出立の後、母人(ははびと)の身持よろしからず、はからずも我等其樣子を見しを恨み給ひ、ひそかに母人の手にかゝり相果けるに、なき名を付られて屍(かばね)の上の恥辱いわんかたなし、我等が死體は、何所々々(どこどこ)の谷間にいまだ葬らで捨(すて)ある由を申ける故、なをくわしく尋んとせしが、右しかばねの有(ある)所のしるしなりとて、髮を束に切りて置(おき)けると見し。不思議なる夢と思へば、枕元にかの髮一束あり。此時彼亡靈歌詠(よみ)けるよし、
まち侘し法の教の數々も行先やすき身こそ嬉しき
とよみし由、詠歌のふり妄説らしゝ。夫よりひそかに、心を得たる親族のかたへ此事申達(まうしたつ)しけるゆゑ彼谷間を尋ねしに、雪國の冷地、右の死骸は依然としていさゝか不變(かはらず)ありし。其母は主人より尋(たづね)等ありて、その事にふくしぬともいひしが、其跡は聞(きか)ざりしと、人の語りぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:和歌絡みで連関。久々の本格心霊物譚。勘違いされている方も多いので再度申し上げておくと、「耳嚢」は実際には本格的な心霊怪談譚は多くないのである。
・「勤番にて江戸詰」参勤交代に於いて大名の家臣団の一部が国許を離れて江戸の屋敷で奉公する必要があり、こうした家臣のことを江戸勤番と呼んだ(実際には地元から送られた江戸勤番だけでは江戸での業務の総てをこなせなかったことから江戸で家臣を募集することもあった)。江戸勤番には立帰り(参勤交代で江戸到着後直ちに帰宅する家臣)。江戸詰(藩主とともに江戸に一年滞在、藩主の帰国に従って帰国する家臣)・定府(じょうふ:江戸藩邸に数年に渡って在住して勤務し、幕府との連絡交渉に当たった家臣で江戸留守居役・江戸詰家老などと称した)の三種があった(以上は個人サイト「Security Akademeia」の「江戸勤番」に拠った)。
・「母人の身持よろしからず」身分の低い使用人との交情か、他家の妻子持ちの武士との不倫などであろう。
・「此時彼亡靈歌詠けるよし、/まち侘し法の教の數々も行先やすき身こそ嬉しき/とよみし由、詠歌のふり妄説らしゝ。」この部分、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では、後ろの「夫より、」が前の「髮一束あり。」に続いてあり、そこで改行された上、二字下げとなっていて、以下のように記されてある(一部表記を変え、読みも増やした)。
此時彼亡靈歌詠けるよし、「待侘(まちわび)し法(のり)の教(をしへ)の數々も行先(ゆくさき)安き身こそ嬉しき」詠みし由。詠歌の振(ふり)、妄説らしき故本文に除く。
とある。確かにこの和歌、今一つ、話柄にマッチしていないような気がする(よく分からないが、強引に訳すなら――待ち侘びていた往生のための正しき仏法の教えの数々よりも、こうして愛するあなたさまに冤罪の思いを告げることが出来、そうして浮かばれることがきっと出来ましょう、このわが身、何よりそれが嬉しいことです――といった感じか?)。「詠歌のふり妄説らしゝ」が言葉足らずなのに対して、バークレー校版は――霊が詠んだという和歌の体(てい)はどうみても不自然で意味もよく分からぬ。この部分は後の巧んだ妄説であろから、本文から削除する。――で如何にも分かり易くはある。ところが、とするとこの標題が内容と乖離してしまうことになるので、削除するのは如何なものか、とも思ってしまうのである。そこで私は「詠歌のふり妄説らしゝ」を訳さないという裏技で訳すこととした。少しこの妻が可哀そうだ。そんな思いも手伝って、後半をかなり翻案してある。悪しからず。
■やぶちゃん現代語訳
亡霊の和歌の事
奧州のある諸侯の藩中に、勤番のため、江戸詰致いて御座った武士があった。
在所にては母と妻のみが留守を致いて御座ったが、思いの外、勤めも忙しく、また一向に郷里からの消息もなければ、等閑にうち過ぎて御座ったと申す。
ある夜のことであった。
夢現(ゆめうつつ)とのぅ……
……枕元に寄って参っては……
……男を呼び起こす者が……
……これ、ある。……
起き上がってこれを見れば、何と! 在所にあるはずの妻で御座ったによって大きに驚き、
「……いかなれば、ここへと来ったか?……幾山川を隔だてて、女の身にて来たるべきようはあらず! 何者かッ!!」
と物の怪の類いと疑いて糺いたところ、暫くは黙って御座ったが、やおら、蚊の鳴くような声にて言葉を発し、
「……あまり……なつかしきゆえに……参りました……実は……われら……今は……この世には亡き……魂にて御座いまする……」
と申したによって、男、驚き、
「……そ、それは……如何なる、わ、わけじゃ!?……」
と質いたところが、
「……妾(わらわ)は……刃(やいば)にかかって……変死致しまして……御座いまする……」
と、これまた驚くべきことを告ぐる。
さればこそ、子細を訊ねんと思うた、その時には……
……既にして
……目の前からかき消えて御座った。……
「それにしても……不思議なことじゃ。……全く、埒(らち)もなき夢であろうと思うては見たが……いやいや、妻の影は確かであったし、その言葉も確かにこの耳で聴いた。……在所にて何か変事でも……出来(しゅったい)致いたものか?……」
と、ひどく悩み、翌日、取り敢えずはと、それとなく母と妻とへ当てて、
――お変わり御座らぬか
といった平常を装うた文(ふみ)を認めて即刻に送り、また、近親の者が在所近くに御座ったゆえ、そちらの方へも、同様の書状を遣わして様子を窺ってみた。
暫くあって、母の元より返事が返ったが、そこには、何と、
――女房事(こと)、伜殿、出立後(しゅったつご)、不身持(ふみもち)にて、行方(ゆくえ)知れずとなり、家の恥ともなればこそ、密かに尋ね探したれど、今に知れず――
と申し述べて御座った。
かの親族の元からも、ほぼそれと同様の趣きを認めたものが、ほぼ同時に届いて御座ったによって、男は、
「……さては……それゆえにこそ、何の便りも御座らなんだか!……それにても……妻が行跡(ぎょうせき)の不埒(ふらち)さよ!……」
と、歯嚙みしながら、捨て鉢になってふて寝したと申す。
その夜のことで御座った。
またしても、かの妻の亡魂、これ、やって参り、さめざめと泣きつつ、言う。
「……故郷(ふるさと)よりのお便り……これ……御座いましたか……」
と申したによって、
「――なるほど、便りはこれ、あった。あったが――汝はおぞましき不品行、これ、あったによって、出奔致いたと――聞いたわ!」
と厳しく叱責致いたところが、かの妻、なおもさめざめと泣き、
「……妾(わらわ)が身……これ……いささかのあやまちも……のぅ……御身御出立の後(のち)……実は母者人(ははじゃびと)の身持ちこそ……これ……よろしからざること御座いまして……はからずも……妾(われ)ら……その一部始終を見申し上げ……それを知られしを逆恨みなされて……ひそかに……母者人の手にかかって……相い果てることとあいなりました……身に覚えのなき罪を着せられ……屍(しかばね)の上の恥辱……これ……謂わん方も御座いませぬ……妾が亡骸(なきがら)は……●山と■嶽との谷間に……未だ葬らるることものぅ……氷雪の上にうち捨てられて……御座いまする……」
と申したによって、なおも詳しく訊ねんと致いたところが、
「……その亡骸が……確かにそこのある証しとして……これを……」
と、守り刀の懐剣をすらりと引き抜くと、己が長き黒髪を、その場にて
――バラリ
と切って
――男の前に置いた……
――と見た……
……ところで……目(めえ)が覚めた。
「……何とも……不思議なる夢じゃった。……」
と思いつつ、ふと見れば……
――枕元には
――確かに
――かの妻の切ったる
――髪一束(そく)
――これ、御座った。……
そうしてその時、
――男の耳に
――妻の
――和歌を詠む声のみが
――虚空から幽かに
――聴こえたと……申す……
……
………まち侘し……
……法の教の數々も……
……行先やすき……
……身こそ嬉しき…………
……
それより、男は、かの信頼出来る在方近き親族の方へ、内々に書状を以って、この不可思議なる体験の一部始終を申し達した。
そこでその親族の者、半信半疑乍らも、亡魂の請けがったところの、●山と■嶽との谷間を尋ねてみた。
すると――
……雪国の冷地のことゆえ、かの妻の亡骸(なきがら)は依然として生きておるが如く、いささかも変わらずに氷雪の上に横たわって御座ったと申す。
男の元に来ったその遺体を見出したる親族からの書状には、
――その御顔は何か少し微笑んだかのように穏やかにして……不思議なることに……美しきその黒髪の一部が……これ……何故か……小刀(さすが)で切られたようになって……御座った――
とあったと申す。
後、その母なる者は、この実の伜より藩主へ嫁謀殺の咎(とが)の訴え、これあり、藩主直々の命によって尋問聴取の上、事実として認められ、相応の刑に服したとも噂には聴いて御座ったが、どう処され、その後、その母やその伜がどうなったかは、これ、聴いては御座らぬ――
とは、さる御仁の語って御座った話で御座る。
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