シオカラトンボは塩辛い――
昨日、アリスの散歩でシオカラトンボを見つけて、ふと、「何故、塩辛蜻蛉というんだろう?」という疑問が鬱勃として湧き起った。連鎖的神経症的に「オニヤンマのヤンマとは何だ?」と思った。
ウィキの「シオカラトンボ」を見ると、『雌雄で大きさはあまり変わらないが、老熟したものでは雄と雌とで体色が著しく異なっている。雄は老熟するにつれて体全体が黒色となり、胸部から腹部前方が灰白色の粉で覆われるようになってツートンカラーの色彩となる。この粉を塩に見立てたのが名前の由来である。塩辛との関係はない。雌や未成熟の雄では黄色に小さな黒い斑紋が散在するので、ムギワラトンボ(麦藁蜻蛉)とも呼ばれる。稀に雌でも粉に覆われて"シオカラ型"になるものもあるが、複眼は緑色で、複眼の青い雄と区別できる』とある。
「まことしやかな」説明だ。塩を吹いているいるように見えるのは確かに見える。しかし、塩辛蜻蛉の数多の写真とにらめっこしてみても、「塩を吹いたような感じ」には見えるものの、「塩辛」を連想は出来ない。だったら「シオフキトンボ」や「シオトンボ」「モシオ(藻塩)トンボ」の方がスマートでいいぞ――などと考えるうちに納得出来なくなった。
すると、個人サイト「NEMOTO's」の「秋津島はトンボの島」というページを見つけた。その最後に驚くべき叙述がある。
《引用開始》
塩蔵法と発酵法を利用した食品はあまたあるが、シオカラトンボに色つやの似た塩からにはついぞお目にかかったことがない。
となると、シオカラトンボの名前の由来は...勘の良い読者には答えが浮かんでいるかもしれない。トンボの名前の付け方は割合と素直。だとすると...シオカラトンボは塩蔵発酵食品の塩からとはおそらく関係がない。そうなんである。シオカラトンボは実際に「塩辛い」のだ。
ヒヌマイトトンボの発見者の一人、廣瀬先生に教えられて、小学生の息子はおそるおそるシオカラトンボのお尻を嘗めてみた。多数居る参加者の中でそんな蛮勇を奮えるのは我が家の一員だけだろう。他の参加者は大人も子どもも尻込みした。シオカラトンボはしょっぱいのである。な~んだ、やっぱり単純明快な命名法。
ちなみにオオシオカラトンボは嘗めると塩加減が丁度よろしいようで「美味しい」そうである。
《引用終了》
僕は海洋生物に全免疫性であるにも拘わらず、昆虫は総じて苦手であるから、当分、シオカラトンボを食す気にはなれない(この僕の異様なまでの陸棲に限った昆虫類及び同節足動物群への広汎なフォビアは恐らく格好の精神分析の対象とはなろう)のだが、しかし、これは私には頗る納得がいったのである。
何故なら、私の大学自分の友人の友なる男は実際に蜻蛉を食べるという話を聴いたからである。死んだのは不味く、シオカラトンボが一番美味くて鮪のトロのような味がすると言って、実際に食べるのを見たそうである。この私の友人は実に真面目な人物であったから私はこれを信じる。
私の先代のアリスは今頃の時期、散歩途中に、弱って落ちた蟬を盛んに食べた(死にかけたものは食べなかった)。ぱりぱりと食べると、器用に羽だけ吐き出した(これは梅崎春生の「猫の話」の蟋蟀を食べて触角だけを吐き出す猫のカロに実によく似ていた)。
序でに、サイト主も分からないとおっしゃっている「ヤンマ」(蜻蜒。大形のトンボの総称)だが、「日本国語大辞典」などにには古名「ヱムバ」や「エバ」が転じた説、「山蜻蛉(ヤマヱンバ)」の義とする説などを上げ、ネットの「日本辞典」には、『「ヱムバ」の語源は、羽の美しい意で「笑羽(ヱバ)」からとする説、四枚ある羽が重なっていることから「八重羽(ヤヱバ)」が転じた説など、他にも諸説ある』とする。相当に古い大和言葉の類であろうとは思うが、これらの語源説は、やはり僕にはピンとこない。
ともかくも僕は――塩辛蜻蛉は本当に塩辛いからそういう――という説を支持するものである。
私の代わりに、何方か、塩辛蜻蛉を食べてみては、呉れまいか?……
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