今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 71 いさり火にかじかや波の下むせび
本日二〇一四年九月 十四日(陰暦では二〇一四年八月二十一日)
元禄二年八月 一日
はグレゴリオ暦では
一六八九年九月 十四日
八日間滞在した山中での句。中間のここに配しておく。
山中十景 高瀨漁火(たかせのいさりび)
いさり火にかじかや波の下むせび
此地に十景あり。先師むかし高瀨の漁火という題をとりて
かゞり火にかじかや波の下むせび
[やぶちゃん注:第一句目は「卯辰集」の、第二句目は支考編「東西夜話」(元禄十四年成立)の句形と支考による前文。
「山中十景」『山中かわら版』第十九号(二〇一一年十二月発行・PDF版)の中の医王寺住職鹿野恭弘氏の記事「山中十景と素晴らしき先人達」によれば、彦根の俳人中村湧西(ようゆう)なる人物が享保十(一七二五)年に山中温泉に逗留、その時医王寺薬師堂に参詣して十景絵馬奉納句の扁額を見たことが記されているとあり、その時、湧西は桃妖甚左衛門(当時、四十九歳)にも会っているとある。以下、同記事に出る十景を正字化して記しておく(読みも記事にあるもの)。
桂淸水螢(かつらしょうずぼたる)
醫王林花(いおうりんか)
湯屋烟雨(ゆやえんう)
水無啼猿(みずなしていえん)
小富士暮雪(こふじぼせつ)
大巖紅葉(おおいわこうよう)
黑谷城跡(くろだにじょうせき)
道明秋月(どうめいしゅうげつ)
蜻蚓橋霜(こおろぎきょうそう)
高瀨漁火(たかせいさりび)
ありがちな名数であるが、音読みの中に訓読みを含むというのは比較的珍しいのではあるまいか。
「芭蕉DB」の本句のページによれば、『山中温泉旅館の主桃妖の説明で、この山中温泉には十景があって、その中に「高瀬の漁火」というものがあると聞いて芭蕉は作句したといわれている。それゆえ、この句は題詠であって嘱目吟ではない』とする。確かに「東西夜話」の前文からはそうなる。しかし、八日の滞在で凝っと温泉にばかり浸っていた(そもそも芭蕉は温泉好きでは実はないと思う)とは考えられぬから、ここは嘱目ととっても構わないと思われるのだが。……それともちょっとした外出の意欲をも殺いでしまうような事態が、芭蕉と同行者曾良との間に起っていたのか?……
「かじか」ここは「漁火」と出るから、魚の条鰭綱カサゴ目カジカ科カジカ
Cottus pollux及び同カジカ属
Cottus の仲間を指す。山中温泉辺りということになれば、降海しない河川型(湖沼陸封型)の種であろう。金沢では幻となってしまったゴリ料理のゴリである。但し、無論、彼らは発声器官持たない。ここは同名を持つ山地の渓流に棲息する両生綱無尾目ナミガエル亜目アオガエル科カジカガエル属
Buergeria buergeri の鳴き声との混同誤認によるものである(たちの悪いことに古い歳時記には「鳴く」と出る)。大変、美しい声で鳴く。AKIRA OOYAGI氏の「カジカガエルの美声Japanese Stream Frog song」でお聴きあれ。
十景全部に句をつけたのなら俳諧の興もあろうというもの乍ら、その気配はない。しかも漁網に絡め捕られんとする鰍(かじか)が我が身の儚さを思って咽び泣くという如何にもな(しかもダルでネガティヴな)句柄、山本健吉氏は『総じて山中の句は低調である』と断ずる。それは年甲斐もなく芭蕉が桃妖にほだされてしまったからだけではあるまい。その反作用によって曾良との関係が破綻寸前まで悪化していたからに他ならないと私は考えている。]
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