今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 85 中山や越路も月はまた命
本日二〇一四年九月二十七日(当年の陰暦では九月四日)
元禄二年八月 十四日
はグレゴリオ暦では
一六八九年九月二十七日
【その四】西行の和歌と同名の越の中山を遠望した一句。木の目峠を過ぎた「奥の細道」本文に出る帰山(かえるやま)の西方に望見されたはずである。
越(こし)の中山
中山や越路(こしぢ)も月はまた命
中山の越路も月は又いのち
[やぶちゃん注:第一句目は「荊口句帳の、第二句目は「芭蕉翁句解参考」の句形。
西行の知られた一首、
年たけてまたこゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山
を本歌とした一句。但し、西行の詠んだ「小夜の中山」は遠江国で東海道の金谷宿と日坂宿の間、現在の静岡県掛川市佐夜鹿(さよしか)の峠。若き日の西行が奥州行脚の折りに越えたそこを、西行は六十九の高齢でまたしても越えた折りの感慨を詠んだもので、「命」は「運命」である。芭蕉はそれをインスパイアして、私もまた、この越の中山を再び越えることがあろうか――と詠んだものだが、これに先立つ十三年前の延宝四(一六七六)年夏、伊賀上野に帰郷した際に実際の小夜の中山で芭蕉が詠んだ名吟(これはやはり芭蕉が二度目に小夜の中山を越えたという感慨に裏打ちされたもの)、
命なりわづかの笠の下涼み
に遠く及ばぬ。遙かに自身の齢(よわい)からネガティブな響きを隠せない本句は、却って妙に作り物臭く感じられる。]
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