杉田久女句集 272 花衣 ⅩL 昭和八年光子東上 三句
昭和八年光子東上 三句
子のたちしあとの淋しさ土筆摘む
降り出でし傘のつぶやき松露とる
娘がゐねば夕餉もひとり花の雨
[やぶちゃん注:既に注したが、一部を再掲する。昭和八(一九三三)年の「日記抄2」を見ると、小倉高等女学校を卒業後すぐに次女光子は合格していた東京の女子美術専門学校(現在の女子美術大学)に遊学している(坂本氏の「杉田久女」によれば夫宇内の強い『反対を押し切って』『送り出した』とある。以下の日記でもそれが分かる)。そしてその日記には冒頭(この部分は日付が入っていないが二月三日以前)から彼女の学資のための倹約の誓いが記され、
遊學の春まつ娘なり靴みがく
遊學やかゝとの高き春のくつ
という句が載る一方、三月五日に『ホトトギス』雑詠欄へ投句したものの一句として、
ひなかざる子の遊學は尚ゆりず
とある(「ゆりず」は「許りず」で下二段活用「許る」は、許される・許可が下りるの意味の古語である)。次に続く日附不詳(三月六日から十二日の間)の項に、『此頃光子出立のしたくのフトンわたぬき』『洗濯、テガミ、セン句、歳時記しらべ等にて、十二時前ねし夜はまれ也。多忙多忙』とか、『光子』『フトン布地五円也』とあり、三月二十日の条には『光子遊學の三年間は世とたち、習字と藝術著作等自分も勉強して暮さう。一点に集中すべし。』、続く三月二十一日の条では『光子の遊學問題を中心にして、夫との爭ひますます深刻。金も百円以上に入用なのに、夫はがみがみ叱言と朝夕の怒罵叱言のみにて、一銭も出してくれぬから私はしかたないなけなしの預金をはたいて皆出してやらねばならぬ。私はどこまでも光子の味方だ。いのりてすゝむ所、よき方法あらんか?』と綴る。光子の東京への「遊學の旅」立ちは三月二十八日であったが、『光子東上。/夜來より風雨はげしくかつ夫の異議出たれば、光子もしくしくなく。』『「いんきな出立ね」と光子のしづむもあはれ也。』光子を送った後、『誰もゐぬ家へ十二時歸宅して心うつろ、淋しさにたへず。』とある。
「松露」菌界ディカリア亜界 Dikarya 担子菌門ハラタケ亜門ハラタケ綱ハラタケ亜綱イグチ目ヌメリイグチ亜目ショウロ科ショウロ Rhizopogon roseolus 。以下、ウィキの「ショウロ」によれば、『子実体は歪んだ塊状をなし、ひげ根状の菌糸束が表面にまといつく。初めは白色であるが成熟に伴って次第に黄褐色を呈し、地上に掘り出したり傷つけたりすると淡紅色に変わる。外皮は剥げにくく、内部は薄い隔壁に囲まれた微細な空隙を生じてスポンジ状を呈し、幼時は純白色で弾力に富むが、成熟するに従って次第に黄褐色ないし黒褐色に変色するとともに弾力を失い、最後には粘液状に液化する』。『胞子は楕円形で薄壁・平滑、成熟時には暗褐色を呈し、しばしば』一、二個の『さな油滴を含む。担子器はこん棒状をなし、無色かつ薄壁、先端には角状の小柄を欠き』小、六~八個の胞子を生ずる。『子実体の外皮層の菌糸は淡褐色で薄壁ないしいくぶん厚壁、通常はかすがい連結を欠いている。子実体内部の隔壁(Tramal Plate)の実質部の菌糸は無色・薄壁、時にかすがい連結を有することがある』。『子実体は春および秋に、二針葉マツ属の樹林で見出される。通常は地中に浅く埋もれた状態で発生するが、半ば地上に現れることも多い。マツ属の樹木の細根に典型的な外生菌根を形成して生活する。先駆植物に類似した性格を持ち、強度の攪乱を受けた場所に典型的な先駆植物であるクロマツやアカマツが定着するのに伴って出現することが多い。既存のマツ林などにおける新たな林道開設などで撹乱された場所に発生することもある』。『安全かつ美味な食用菌の一つで、古くから珍重されたが、発見が容易でないため希少価値が高い。現代では、マツ林の管理不足による環境悪化に伴い、産出量が激減し、市場には出回ることは非常に少なくなっている。栽培の試みもあるが、まだ商業的成功には至っていない』。食材としての松露は『未熟で内部がまだ純白色を保っているものを最上とし、これを俗にコメショウロ(米松露)と称する。薄い食塩水できれいに洗って砂粒などを除去した後、吸い物の実・塩焼き・茶碗蒸しの具などとして食用に供するのが一般的である。成熟とともに内部が黄褐色を帯びたものはムギショウロ(麦松露)と呼ばれ、食材としての評価はやや劣るとされる。さらに成熟が進んだものは弾力を失い、色調も黒褐色となり、一種の悪臭を発するために食用としては利用されない』とある。]
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