祝祭劇としての文楽――双蝶々曲輪日記――
昨日見た文楽「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」。
私は恐らく「伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)」に次いで、面白い外題と感じた。
それは本作全体が壮大な宗教的祝祭として構成された、徹頭徹尾、驚くべき誠心とそれを包み込む吉祥に支えられた磐石の芝居であると感じたからに他ならない。
〈堀江相撲場の段〉
言うまでもなく、相撲は「相撲(すまい)の節会」に由来する祝祭である。実は本段の前〈相撲の段〉で濡髪(濡紙が原義)長五郎がわざと放駒長吉に負けるという設定は、それ自体が一見、卑怯な行為として見えながら、その実、後に二人が義兄弟の契りを結ぶ「結縁」の動機となるのであり、二人の「長」=「蝶」の若衆道の物語という作品全体の有意な「額縁」としてこの八百長相撲が機能していることは言を俟たぬ。
とすれば、この長五郎の八百長は実は「仏の方便」として既にして許されてあるのである。だからこそ話柄は波瀾万丈のうねりを持ちながらも、孝心と忠義に生きる主要人物らを大きな慈悲の網に掬いとってゆくことになるのである。
そうした意味からも私は演じられることの少ない(今回もない)この前段の相撲の場面は是非欲しいとも考えている。
〈大宝寺町米屋の段〉
姉お関と同行衆によるフェイクが長吉を改心させるサブ・ストーリーの、本外題最初ののクライマックスであるが、ここに出る可愛い色気を失わぬ老尼妙林がミソである。「同行衆」とは通常、浄土真宗の信者の会衆や講中を指す。ここでも尼妙林が「アヽとかく何事も御開山のお蔭、なんまみだなんまみだ」と念仏を繰り返すことからもそれは判然とする。しかもその直後に妙林が長五郎を見て頬を赤らめ、「アノ、私がもう二十若けりゃな」「あの前髪さんに、ヲヽ恥づかし」と述べるチャリは、まさに「御開山」親鸞の肉食妻帯の許しに基づく、既にして許された素直な感懐なのであり、この段もやはり阿弥陀の大慈大悲によって祝祭されていることが明白となる。
因みに、最初に長吉の愚連隊仲間二人が訪ねてきて、酒肴に及ぶシーンを見ながら、実は浄瑠璃には思いの外、酒食饗宴の場が少ないということに今頃、気づいた。
〈難波裏喧嘩の段〉
本公演の段で人が死ぬのはこの段だけである(時代物としては死者の数が少ないのは、まさに本作が祝祭劇であることの証左であろう)。しかも長五郎に殺される吾妻に横恋慕している平岡郷左衛門(ごうざえもん)と同輩三原有右衛門(ありえもん)という二人は、まさに「郷」=「業」「有」る救い難き悪人である。さすれば、彼らの惨死は総ての観客の喝采を浴びるものとなり(普通は惨たらしく感じられるとどめの一刺しでさえもすこぶる痛快ではないか。私は内心、『早くとどめを!』と心の中で叫んでいたことを告白しよう)、それはとりもなおさず、この斬殺自体が神仏によって許された祝祭の生贄(祝祭にサクリファイスは不可欠である)としてあることを意味すると言える。
その祝(ほう)りとしての屠(ほう)りがあるからこそ、ここに与五郎と吾妻の男女の契りは勿論、寧ろ、本話の主題である濡髪と放駒の強靭な男の契りこそが決定(けつじょう)するのである。
ここまで、大夫の長五郎は明白に「吾妻さん」と呼んでいる。この「さん」が気になった。床本では「殿」である。この後段では「さま」となった。どうもその辺りの些細な部分が気になった。少なくとも「さん」は浄瑠璃では異様に響く(新作文楽を聴いているような違和感があった)。何とかなるまいか。私は「殿」で何ら問題ないと思うのだが。
〈橋本の段〉
確か私の記憶では、幕前から御題目の太鼓が鳴り響く。即ち、この三つ巴くんずほぐれつの強烈な父子愛の場には、今度は「父」権性を強く保持した日蓮が蔭に登場して祝祭しているのだと私は合点した。
また、ここと次段の登場人物の異様に似た名前が気にもなった。
与五郎の妻お照の父が「治部衛門(じぶえもん)」、与五郎の父の名が「与次兵衛(よじべえ)、吾妻の父の名が「甚兵衛(じんべえ)」、次の〈八幡里引窓の段〉の長五郎の実母の継子がこの場で改名して「十次兵衛(じゅうじべえ)」――皆、「じ」音を含む。その結果として彼等の名が呼ばれる際、この「じ」が殊更に耳に残る仕掛けになって、しかも彼らが皆、どこかで繋がった何ものかに導かれているという不思議な共感共時性を醸し出す。無論、これらは当時ありきたりな名ではあったに違いない。しかし、普通の作劇者ならば、彼らを観客が誤認せぬようにもっと有意に異なった名にすると考えてよいのではあるまいか? そうしなかったのは、これは私は確信犯の仕儀と考えるのである。――この「じ」は「慈」である。――即ち、彼等の名前自体が総て本祝祭のシンボルなのだ――と私は感じたのであった。
〈八幡里引窓の段〉
引窓や手水の作劇上の遣い方がまっこと、面白い。そうしてその見えない「月」は「待宵」の月であり、手水の水面に映る長五郎の面の背後にもその「月」があるはずである。さすればここには見えない円(まる)い月がある。名月は名鏡である。真実の心を映し出すところの鏡である。舞台装置のその外縁に祝祭の装置が既にしてセットされてあると私は読む。
ここはまた、実母(珍しく名が示されず、台詞にも出ない)と実子長五郎の母子愛、継母(長五郎実母と同一人)と継子(南与兵衛(なんよへい)改め十次兵衛)の母子愛、義娘(十次兵衛妻おはや)とその義母の母子愛という、前段の父子愛の構造を反転させた鏡像のような関係にあって、その総ての人物(途中に出る仇討のための平岡と三原の如何にも軽い兄弟は無論、除いてである)が鮮やかな月光に照らされた誠心の持ち主として如何にも美しく透明に映るのである。
而して、クライマックスは自ら母に引窓の繩で縛らせ、孝と義に生きようとする覚悟の長五郎――しかも、その繩を断って長五郎を逃がすところの孝と慈悲に満ちた十次兵衛――切った繩で引窓が落ち、月光が室内を照らす――(ここは折角、照明装置があるのだから、私は室内全体の照明をやや落として月光のスポットを当てるぐらいの近代的手法が採られてよいと思う。少なくとも私はそれをどこかで期待していたことをも告白しておく)――それがまさに二人の男の誠心をあぶり出す「明鏡の文学」としての、「聖なる後光の祝祭」なのである。
そして駄目押しの祝りもちゃんと用意されているではないか!
十次兵衛「南無三宝夜が明けた。身共が役は夜の内ばかり。明くれば即ち放生会(ほうじょうえ)。生けるを放す所の法。恩に着ずとも勝手にお往きやれ」
これらが祝祭でなくて、何を祝祭と言おう?!
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