生物學講話 丘淺次郎 第十一章 雌雄の別 三 局部の別 (5) ヘクトコチルス
[「たこの交接」]
[やぶちゃん注:「 」位置はママ。底本よりも細部が確認出来る、国立国会図書館蔵の原本(同図書館「近代デジタルライブラリー」内)の画像からトリミングし、補正をした。]
[「たこぶね」の雄]
[「たこぶね」の雌]
[やぶちゃん注:底本では明度を上げ過ぎて白く飛んでしまって見難いので、国立国会図書館蔵の原本(同図書館「近代デジタルライブラリー」内)の画像からトリミングし、細部が確認出来、且つ他の箇所が白く飛ばないぎりぎりのところまで補正をした。]
「たこ」「いか」類の雄も精蟲を雌の體内に移し入れるためには足を用ゐる。八本または十本ある足の中の或る一本は、産卵期が近づくと形が少しく變じ、先端に近い部分の皮膚が柔くなり、表面に皺などが出來て他の足とは餘程異なつたものとなるが、交接するに當つては、雄はまづ自分の輸精管から出した精蟲をこの變形した足の先に受け入れ、次いで雌に近づき、雌の頭と胴との間の割れ目にこの足を插し込み、輸卵管の内へ精蟲を移し入れるのである。すべて「たこ」・「いか」の類では胴は外套膜と名づける厚い肉の嚢で包まれ、輸卵管でも輸精管でも肛門でも皆その内側に開いて居る故、外面からは少しも見えず、隨つて雌雄がその生殖器の開き口を互に相接觸せしめることは到底出來ぬ。圖に示したのはフランスの或る水族館で、普通の「たこ」の雄がその變形した足の先を、小さな雌の外套膜内へ挿し入れて居る所である。「たこ」の一種に「たこぶね」と名づけるものがある。雄は普通の「たこ」の如く全身裸であるが、雌には奇麗な船形の殼があつて、卵を産むとその奧に入れて保護する。この殼も他の貝類のと同じく、體の外面に生じたものであるが「はまぐり」・「あさり」や「たにし」・「さざえ」のとは違ひ、肉と繫がつた處がなく全く離れて居るから、生きた「たこぶね」の雌を餘りひどく突つつくと、終には殼を捨てて中身だけが水中を游ぎ逃げて行く。かく裸になつた雌は如何にも不安の樣子で頻に游ぎ廻るが、そこへ元の空殼を持つて行くと忽ちこれに摑み附き、體をその内へ入れ舊の如き姿となる。書物には往々「たこぶね」の雌が貝殼に乘り、二本の扁平な足を帆の如くに上げ、殘り六本の足を橈の如くに用ゐて水を漕ぎながら水面を進んで行く所の圖が掲げてあるが、これは全くの想像であつて、實際には決してさやうな藝は出來ぬ。なぜかといふに、特に扁平になつて居る二本の足は殼を造り、且常にこれを支へて居るための道具で、もしこれを離して帆の如くに上へ向けたならば、殼を保つものが何もなくなつてしまふ。さて「たこぶね」は如何にして受精するかといふに、雄の足の中の一本が特に變形して交接の器官となることは普通の「たこ」と同じであるが、「たこぶね」では雄が雌に近づき、この足で雌に吸ひ附くと足は中途から離れ、雄は足の先を捨て置いてどこかへ泳いで行く。即ち雌に近づき足で吸い著くまでが雄の役目で、これが濟めば雄は隨意に泳ぎ去り、その後はたゞ殘つた足の先と、雌との間に交接が行はれるのである。この足は雄の體から離れた後にも急には死なず、吸盤で吸ひ著きながら外套膜の中へ匍ひ入り、輸卵管の奥へ精蟲を移し入れた後は、自然に生活の力が消えて廢物となり終るのである。假に人間に譬へて見れば、男が手の指の間に精蟲の塊を挾み、通り掛りの娘の肩を敲くと、その手は手頸の所から切れ離れ、手をなくした男は勝手な方へ行つて了ひ、後に殘つた手だけが自分の力で匍うて、腰卷の内まで潛り込んで行くのに相當する。初めて雌の體内にこの足を見附けた人は、雄の足の切れたものとは無論心附かず、その伸縮する樣子から一種の寄生蟲であらうと判定して、これに「百の吸盤を有する蟲」といふ意味の學名を附けた。この學名は、その寄生蟲でないことの明になつた今日でも、「いか」・「たこ」類の交接用の足をいひ表す名稱として常に用ゐられて居る。
[やぶちゃん注:私の博物学的に大好きな、交接腕=ヘクトコチルス(Hectocotylus)の話である。これについては既に「生物學講話 丘淺次郎 七 共食ひ」の注で触れたが、補足して再注しておくと、ここに記されたように、オスのタコは交接腕という特化した触手を持ち、交尾の際にはその先端の吸盤のない溝の部分に精子の入った精莢(せいきょう)を挟み込んで、その腕をメスの生殖孔に突き刺す(この際、メスはかなり暴れるので相当な痛みがあるものと思われる)。その後、頭足綱鞘形亜綱八腕形上目八腕(タコ)目マダコ亜目アミダコ科アミダコ Ocythoe tuberculate や八腕(タコ)目アオイガイ科アオイガイ属アオイガイ(葵貝/カイダコ) Argonauta argo 及びここで語られるタコブネ(後注参照)などの種では交尾を完全なものとするために、オスはその先端部を自切する。一八五九年、この交接腕の先端断片をアミダコの解剖中に発見したフランスの博物学者キュビエは、これをタコに寄生する寄生虫の一部と考え、ご丁寧に Hectocotylus Octopodis(ヘクトコチルス・オクトポイデス:百疣虫)と学名まで附けてしまった。丘先生も述べられているように、現在でも生物学では、誤認ながら、キュビエの交接腕断片の原発見の功績に敬意を表し、タコの交接腕をのことを「ヘクトコチルス」と呼称するのである。因みに、私の好きな萩原朔太郎の「死なない蛸」で知られるように、しばしば世間ではタコは自身の足を喰らうと信じられているが、もしかすると漁師たちは経験上、タコの腕の先端の一部が切れている個体があることを知っており(それはこのヘクトコチルスのそれよりもウツボなどの天敵襲われた際の自切現象によるものの方が目立つが)、そこから誤認して彼らが自然界で容易に自分で自分の足を食うと錯覚したのではないか私は考えている(水族館で見られるというタコの自身の足の自食行動(本当にそういう現象が多発しているとは私は実は信じておらず、これも朔太郎の詩辺りからの都市伝説の部類の話と考えている)は現在の知見では狭い水槽で飼育するために生じるストレスから生じた自傷行為と考えられている(軟体動物でもイカ・タコの類はナイーヴで、水族館でも飼育しづらい生物である)。
「たこぶね」頭足綱八腕形上目八腕(タコ)目アオイガイ科アオイガイ属タコブネ Argonauta hians 。別名フネダコ。ウィキの「タコブネ」によれば、『太平洋および日本海の暖海域に分布する。同様の殻を生成する近縁種としては、アオイガイやチヂミタコブネがよく知られている』。『タコブネのメスが生成する貝殻は、他の生物が住み処として再利用することがあり、また、繊細で美しいフォルムを有することから、工芸品のように扱われたり』、『アンモナイトの化石のように収集趣味の対象になっている』(私も大小三個を所持している)。『タコブネは、主として海洋の表層で生活する。メスは第一腕から分泌する物質で卵を保護するために殻をつくるのに対し、オスは殻をつくらない。生成される殻はオウムガイやアンモナイトに類似したものであるが、外套膜からではなく特殊化した腕から分泌されるものであるため、これらとは相同ではなく構造も異なる』。『食性は、タコと同様肉食性であり、稚魚や甲殻類(エビ・カニのなかま)を食べる。通常は海中を浮遊するが、取り込んだ海水を噴射することによって海中を前進することもできる』。成長した♀は七~八センチメートル前後になるが、♂はその二〇分の一ほどの大きさにしかならない。オスは八本の足のほかに交接腕(Hectocotylus:ヘクトコチルス)を有し、交接腕には精嚢が格納されていて、交尾はオスが交接腕をメスの体内に挿入した後切断されるかたちで行われ、受精はメスの体内で行われる。メスは貝殻の内側に卵を房状に産みつけ、新鮮な海水を送り込むなどしてこれを保護する、とある。
「假に人間に譬へて見れば、男が手の指の間に精蟲の塊を挾み、通り掛りの娘の肩を敲くと、その手は手頸の所から切れ離れ、手をなくした男は勝手な方へ行つて了ひ、後に殘つた手だけが自分の力で匍うて、腰卷の内まで潛り込んで行くのに相當する」丘先生のトンデモないユーモアが大炸裂! 丘先生、これって戦後のカストリ雑誌なみに面白いっす!]
雄のほうに交接器がある以上は、雌の身體にこれを受け入れるだけの裝置のあるは當然のことと思はれるが、小さな蟲類を調べて見ると必ずしもさやうとは限らぬ。輪蟲と名づける淡水産の小蟲のことは已に前の章で述べたが、この蟲の或る類では雄には體の外面に突出した錐狀の交接器があるが、雌にはこれを受けるべき何らの構造もない。それ故、交接するときには雄は尖つた交接器を以て、どこでも構はず雌の體を突き通し、その内へ精蟲を注ぎ入れる。その有樣は皮下注射の器械で「モルヒネ」や血淸を注射するのと少しも違はぬ。精蟲は後に組織の間の空隙を潜り歩いて、終に卵細胞に達し、これと相合するのである。
[やぶちゃん注:「輪蟲」は「二 食はぬ生物」の本文と私の注を参照されたい。ワムシの交尾器官の形態については詳述したサイトがなく、恐らくこのトンデモなくエイリアンっぽい特異な雄性器挿入の事実は、あまり知られているとは思われないので、特に注に喚起しておきたい。]
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