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2014/09/15

萩原朔太郎 歌 七首 (「習作集第八卷(哀憐詩篇ノート)」より)

 

[やぶちゃん注:以下は底本全集第二巻「習作集第八卷(哀憐詩篇ノート)」に所収する短歌群の一つ、「歌」歌群。] 

 

 歌

 

襟脚もみうらのえんなる君にふる雪は

えやは消えざるものをこそ思へ 

 

手のひらに練おしろひのときみづの

にほひにぢめる若き人妻 

 

うくらゐん春の夜に鳴くうぐひすか

「哀傷篇」の歌のこゝろか 

 

猫の子に頰すりよせて泣くばかり

女ほしさに氣も狂ふなり 

 

東京の朝は悲しや川蒸氣

ポーと氣笛の鳴るが悲しや 

 

心ぼそきかぎりのことは言はであれ

君また更にくちづけをせよ 

 

あきうどの若き息子の元吉が

そろばん玉をはぢき居るかな

              (高橋君に)

 

[やぶちゃん注:「おしろひ」「にぢめる」「川蒸氣」「氣笛」「はぢき」は総てママ。

 底本の初出本文の最後に『三首目「うくらゐん」は上田敏の『みをつくし』所収「南露の春宵」から。「哀傷篇」は北原白秋の歌集『桐の花』に所收。』とあり、また、『七首目の獻辭は、前橋市の書店煥乎堂の高橋元吉のこと。』と編者注がある。なお、本「習作集第八卷(哀憐詩篇ノート)」の書写年代は大正二(一九一三)年の二月から九月と推定されている。

 「うくらゐん」ウクライナのこと。正しくは上田敏の訳詩集「みをつくし」所収のゴーゴリ原作の「南露春宵」である。以下に国立国会図書館近代デジタルラブラリ当該詩集の当該詩篇から視認して起こしたものを以下に示す(句点の後の有意な余白及び繰り返し記号「ヽ」はママ。踊り字「〲」は正字化した。一部の判読推定字には直下に【?】を附した)。

 

      南露春宵

 ウクラインのよるをしれりや。 あはれ美しきかの夜をしらすば、はやくゆきても見た給へかし。 なかぞらに月はてらしぬ。 みるがまにひろがりたる靑空(あをそら)の穹窿は今や、てりわたりて、息するやうなり。 白銀の波、大地にたヾよひてうるはしく、空氣はあやしくも息ぐるしきまでかぐはし。 やさしきいたはりはあたりにみちてにほひのうみのふるひ動ける。

 かうがうしきよるのけしきかな、物くるほしう美しきはこよひなり。 靜なるこの夕にも、命は曾良にみちねりとおぼしく、をくらき森は、やみにそよぎて、田の面に落せるかげくろし。 池のおもてには音なくて、おぼろおぼろのみながみは花園のわか葉にかくれぬ。

 泉には、つめたき水ながれて、櫻のわか枝、梅の老木など臆【?】せるさまに岸をほひたり。 葉がくれに幽なるさヽやきありて怒るが如く訴ふるが如きは花の神たちのむづかりならむ。さ丁てはいたづらの夜の風やみにまぎれて接吻(くちづけ)せしか。

 よものけしきはなべてねむりぬ。そらも、つちもあやしきいきにつつまれていと神さびたり。かしこみの心ゆくりなく起りぬ。 誰れかこの幽玄を曉らむ。 たれかこの崇高を仰がむ。 幻はしろがねの光よりあらはれたり。物の音の調とヾのひたる如くあなたこなたの深みより生れぬ。 あヽかうがうしき春の夜や、わが心うれしさに亂れむとす。

忽にしてよろづ蘇生(よみがへ)りぬ。 森も池も原もおしなべて生きたり。ウクラインの野邊に鶯なきぬ。玉を轉がす音の雷となりてひヾけば、月はみそらの胸によりてこの美しきこゑをすひつヽ。

 ながめやる遠里小野は、あやしき眠につヽまれて音なし。 月かげをあびたる小屋のむれは、さながら浮彫をみる如く、暗とてりあひて眩むばかりなるは、そが壁なり。鶯はなきやみぬ。 あたりはまた靜なり。信心の農夫は、はやねむりしころならむ。をちこちの窻に、なほあかしのもるヽは、小屋の戸口に遲【?】なはりたる家族どもが夕げたうべつヽあるなんめり。          (ゴゴル) 

 

「遲【?】なはりたる」は「遲」にしか見えないが、読みが分からず、意味も不明である。識者の御教授を乞う。因みに、不学にしてこの散文詩は初めて読んだが、個人的に、すこぶる気に入った。

 「哀傷篇」北原白秋歌集「桐の花」はで全篇が読める。「哀傷篇」は巻末にある。

 「高橋元吉」(たかはしもときち 明治二六(一八九三)年~昭和三〇(一九六五)年)は詩人で書店「煥乎堂」社長。群馬県前橋市生まれ。前橋中学校(現在の群馬県立前橋高等学校)卒業後に上京、『偶成の詩人』と称され、朔太郎の他、武者小路実篤・柳宗悦らと交友があった。書店経営をする傍ら、大正一三(一九二四)年に高田博厚・尾崎喜八らと雑誌『大街道』を創刊、昭和一〇(一九三五)年『歴程』同人。昭和三八(一九六三)年には「高橋元吉詩集」で高村光太郎賞を受賞している。没後に『高橋元吉文化賞』が制定されている。朔太郎より七つ年下(以上はウィキ高橋元吉及び講談社「日本人名大辞典」を参考にした)。書写年代からが作歌時とするなら、当時の元吉は丁度、二十歳である。]

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