飯田蛇笏 山響集 昭和十二(一九三七)年 Ⅴ 生命と風景
生命と風景
九月一日、醫家汀庵に滞在する長男急性盲腸炎との急使來る
倥偬如鬱々如たる秋日影
[やぶちゃん注:「醫家汀庵」樋水昌策(といずみしょうさく)。俳号は汀波。妻静枝は蛇笏の妹。樋水家は山梨県田富町(現在は中央市に吸収)東花輪駅近くの清川という小川の畔りにあり、その東座敷は「汀(みぎわ)の庵(いおり)」と呼ばれていた、と「山梨・まち[見物]誌ランデブー 第6号 特集・田富町」の「花輪と『雲母』 大正9年の「笛吹川観月句会」再現ドキュメント」にある。
「倥偬」は「こうそう」と読み、慌ただしいこと。]
地に草に秋風の吹く影法師
タクシイの同乘、途すがら野本博士を訪ひ同車して急行す
國原の日輪顫ふ秋を駛す
[やぶちゃん注:「野本博士」不詳。外科医か。「國原」は広く平らな土地という意の一般名詞であろう。「駛す」は訓で「はす」か(音は「シ」)。]
博士の嚴診を經て即時入院、斷然腹部切開の大手術を決す
秋灯下觀念す吾子(あこ)たゞひとり
驚破(すは)や醫が執刀す秋の灯の光り
氷山に子はひそむこの秋夜かも
秋の灯に見まじとす子の血がみゆる
手術後、第一病舍に退き絶對安靜の手當をうく
秋一夜掌(て)を觸れもして玉額
翌、手術を知り急遽妻來る
秋の晝泣く母に子は眼をつぶる
吾子睡り病窓秋の光(かげ)溢る
經過頗る良好
吾子に購ふ鉢鬼灯のゆれあへり
園の花卉幽らからぬ秋の日覆かな
[やぶちゃん注:「幽らからぬ」は「くらからぬ」と訓じているか。]
郷(さと)がへり病舍通ひに露の秋
室内看護の間に於ける訪客
青柚活く錦繡の娘が薰衣香
内牕(うちまど)の紗がくれに攝るメロンかな
白樺にかなかな鳴きて大花壇
[やぶちゃん注:「かなかな」の後半は底本では踊り字「〱」。]
十字架祭看護婦(つきそひ)いでて秋花剪る
[やぶちゃん注:「十字架祭」十字架挙栄祭。ウィキの「十字架挙栄祭」によれば、正教会と東方諸教会に於いて祝われる祭事の一つで、亜使徒聖大帝コンスタンティン(コンスタンティヌス一世)の母である聖太后エレナ(母太后ヘレナ)によって、エルサレムでイエス・キリストが掛けられた聖十字架が発見され、未信者であったペルシア人の手からそれを取り戻したことを記念する日。両教会では九月二十七日に祝われる(修正ユリウス暦使用教会では九月十四日に祝われる)が、カトリック教会では十字架称賛祝日として九月十四日に祝われる。ここは九月十四日。秋の季語である。病みあがりの長男をキリストに見立てた諧謔である。]
落月に媾曳の影さす花壇
[やぶちゃん注:「媾曳」は「あひびき」で逢引。入院患者を見舞った恋人の景か。]
病閑一宵、娯楽室に靑年宰相の放送を聽く
快調の近衞の君に壁爐冷ゆ
[やぶちゃん注:「靑年宰相」「近衞」近衛文麿。この昭和一二(一九三七)年の、六月四日に第一次近衛内閣が発足、ウィキの「近衛文麿」によれば、この九月には第二次上海事変が全面戦争へと発展したことを受けて九月二日に「北支事変」を「支那事変」と変更する閣議決定がなされ、九月十日には『臨時軍事費特別会計法が公布され、不拡大派の石原莞爾参謀本部作戦部長が失脚し』ている。当時、近衛は満四十五歳。「冷ゆ」が蛇笏の時勢への不安をよく響かせている。政治性を孕む蛇笏句では珍しい句であろう。]
絶食後はじめて摂取
匙をめで重湯甘ましと今朝の秋
起牀する窓の秋草繚亂す
女醫優に吾子のしゆびんを翳(かざ)す秋
[やぶちゃん注:「優に」は「いうに(ゆうに)」で、余裕のあるさまの謂いであろう。]
花卉の晝海老フライ喰ぶ子を讃ふ
全く快癒退院
あらがねの土踏む草履秋涼し
盲腸手術長男退院
廬をさせば野山のにしきさしそめぬ
[やぶちゃん注:佶屈聱牙の蛇笏の句の中で珍しく頗る分かり易い句群である。彼もまた子の父であった。]
« 杉田久女句集 272 花衣 ⅩL 昭和八年光子東上 三句 | トップページ | 『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より金澤の部 龍華寺 »