『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より金澤の部 洲崎
●洲崎
洲崎(すさき)は。野島の西瀨戸橋の東の漁村をいふ。太平記及び鎌倉年中行事等の書に洲崎と有は。山内の西に在る者にして。此にはあらずと云。
[やぶちゃん注:現在の金沢区洲崎町一帯。心越の「洲崎晴嵐」の地(晴嵐は晴れた日に山にかかる霞や快風をいう)で江戸時代は名の通り、海に迫り出した崎であったが、現在は都市開発で平坦な海岸線となってしまい、マンションや釣り舟屋が立ち並ぶ(ここの記載は現在の「金沢八景」の写真が並ぶジョシュア氏のブログ「よこはまさんぽ」の「金沢八景を訪ねる 後篇」に拠った。同氏の「金沢八景を訪ねる 前篇」と併せて当地所縁の方は必見)。
「太平記及び鎌倉年中行事等の書に洲崎と有は。山内の西に在る者にして。此にはあらず」言わずもがなの、おかしな記事である。こちらは元弘三(一三三三)年五月の鎌倉攻めの激戦地、洲崎の古戦場で、現在の鎌倉市の山崎・寺分・梶原一帯の地域を指す。ちゃんと、金沢の洲崎を描写しなはれや!]
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