耳嚢 巻之八 懸角 一名 訶黎勒の事
懸角一名訶黎勒の事
上古は禁中にて節會(せちゑ)行はるゝ時、天子高御座(たかみくら)といふに坐(ま)し給ふ御帳臺(みちゃうだい)の左の柱に、鬼角(をにづの)といふ器を懸け置(おく)事有り。是を犀角(さいかく)にて造りたるものなり。百鬼邪鬼瘴氣(しやうき)諸毒を解(げ)する功勝れたるものなれば、貴人の座右には必(かならず)置く事なり。中古亂世打(うち)つゞきけるころ、此器絶(たえ)けるにや、今は御帳臺の柱にも、木にて作り、むかしのかけ角に擬(なずら)へ置(おく)事、足利義政公此懸角(かけづの)を寫し、象牙にて訶黎勒(かりろく)の實(み)の形ち、則(すなはち)かりろくと名付(なづけ)、押板(おしいた)の柱に懸(かけ)て座上の飾(かざり)となせり。象(ざう)も毒を解し、其外の功も犀角におとらざるもの故也。かりろくは西土嶺南の産物にて、殊に食傷等に用藥なるゆゑ、常に座上に置べき物なり。稜(かど)六筋(ろくすじ)有るをよしとす。八筋より十三筋、品々も有を、椰精勒(らうせいろく)といふ。藥に用ひず。訶黎勒の功、食を下し、胸隔(きようかく)の結氣を破るゆゑ、嶺南にては茶の如く煎じ、常に客にもてなすといへり。天竺にても殊に用(もちゐ)る藥なるゆゑ、金光明經(こんかうめいきやう)にも熱病を下す藥に用ゆる事を載(のせ)たり。
[やぶちゃん注:図の右上に「懸角一名 訶黎勒」とある。]
□やぶちゃん注
○前項連関:なし。但し、二つ前の「かづき」の考証から有職故実物で連関すると言える。図を配したという点でも根岸の意識では強く結びついていたものと思われる。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版には墨塗りの同図があって、非常に見易いので以下に示す。
・「懸角一名訶黎勒の事」「かけづの いちめい かりろくのこと」と読む。
・「懸角」岩波の長谷川氏注には、『御帳台の入口の柱に掛けた犀の角』とある。
・「訶黎勒」底本の鈴木氏注に、『訶黎勒、翻して天主持来といふ、万病に効あるを以て、諸軌に、加持して飲む事を説けり、金比羅童子経の如きは、金経此樹の効能を説けりとぞ。(三村翁)』とある。これはバラ亜綱フトモモ目シクンシ科ミロバラン
Terminalia chebula を指す(英名:Myrobalan)。「「訶黎勒」は仏典での漢訳名。個人サイト「タイの植物 チェンマイより」の「Terminalia chebula /ミロバラン」によると、『インド・熱帯アジア大陸部』を原産とし、『南伝仏典の伝えるところ「ブッダは成道後、激しい腹痛を患われたが、それを見たインドラ神(帝釈天)がミロバランの果実を捧げられ、ブッダは忽ちにして快癒された。」北伝仏典も同様の伝えである。ミロバランの梵語名はハリタキ』とある。その『果実は整腸・下痢止め』として用いられ、『抗菌作用があ』り、『我が国への伝来は古く、正倉院の種種薬帳に記載の呵梨勒(カリロク)は、このミロバランとされている』(以上、引用はコンマを読点に変えさせて戴いた)。樹皮・果実から『繊維を黄緑色/灰色に染色する』染料を作り、また、家具・車両などの木材原料とするとある。岩波の長谷川氏注には、『その実の形を象牙等で作って飾りにする』とある。仏典の伝承を受けたものであろう。
・「高御座」即位や朝賀などの大礼の際に使用される天皇の座所。当初は大極殿(だいごくでん)の中央に常置されていたが、その廃亡とともに紫宸殿(ししんでん)に置かれた。唐制を模したもので、南を正面とし、西東北の三方に階段をつけた約五メートルの方形を成し、高さ約一メートルの基壇上に、高さ約三メートルの八面の屋形を組む。屋根は神輿の形に似た八角で、中央に大きな鳳凰、おのおのの隅に蕨手(わらびて)の飾りを出だし、その上に小さな鳳凰を立てて玉旛(ぎょくはん:玉幡。この高御座や御帳台(みちょうだい。後注参照)の棟の下に懸ける装飾で、玉を鎖で繋ぎ、先端に薄金の杏葉(ぎょうよう:杏(あんず)の葉に似た装飾具。)をつけたもの。)を下げる。破風の南北に各五面、その他六方には各三面の鏡と、その間に白玉を唐草で囲んだ彫物を立て並べる(以上は主に平凡社「世界大百科事典」に拠る)。
・「御帳台」宮中や寝殿造の母屋内に設けられる調度の一つ。浜床(はまゆか)という正方形の台の上に畳を敷き、四隅に柱を立てて帳(とばり)を垂らしたもの。貴人の寝所又は座所とした。
・「瘴氣」中国で熱病を起こさせるとされた山川の毒気。
・「足利義政」(永享八(一四三六)年~延徳二(一四九〇)年)は室町幕府第八代将軍。
・「押板」中世の座敷飾りの名で、壁下に作り付けた奥行きの浅い厚板。現在の床の間の前身。
・「嶺南」中国で古く南嶺山脈(五嶺山脈とも呼ぶ)から南の地域を指した広域地方名。主として現在の広東省と広西チワン(壮)族自治区に当たる。
・「金光明經」四世紀頃に成立したと見られる仏教経典の一つ。大乗経典に属し、本邦では「法華経」「仁王経」とともに護国三部経の一つに数えられる。詳細は参照したウィキの「金光明経」を読まれたい。
■やぶちゃん現代語訳
懸け角(づの)――一名、訶黎勒(かりろく)――の事
上古は、禁中に於いて節会(せちえ)が行はるる際、天子は高御座(たかみくら)という御座(おんざ)に坐(ま)しまされたが、その御帳台(みちょうだい)の左の柱に、「鬼角(おにづの)」と呼ばるる祭器を懸けおくことを、これ、式として御座った。これは、犀の角で造ったものである。百鬼・邪鬼・瘴気(しょうき)・諸毒を悉く退け癒し、効の勝れたるもので御座ったによって、貴人の座右には必ず、これを置くを礼として御座った。
中古、乱世のうち続いておった頃に、この祭器は失われ、その礼式も途絶えてしまったものか、現在は、御帳台の柱には木で出来た、往古の懸け角(づの)に擬(なぞら)えたものを、懸けおいておくと聴く。
かつて、足利義政公は、この懸け角を模し、象牙にて、「訶黎勒(かりろく)」の実(み)の形に彫らせたものを造らせなさって、そのままにそれを「かりろく」と名付けられ、押板(おしいた)の柱に懸けては、座上の飾りとなされたと伺って御座る。象(ぞう)の牙も、これ、解毒の効あって、その他の種々の効能も犀の角に劣らざるものなるが故で御座る。
「かりろく」と申すは、これ、西土(さいど)は嶺南(れいなん)地方の産物にして、殊に食当りなどに服用するものであるゆえに、常に貴人の座上には常備すべき品で御座る。
稜(かど)が六筋(ろくすじ)あるものを上品となす。八筋より十三筋に至る品々もあるが、これは「椰精勒(ろうせいろく)」と称する。但し、これらは薬用とはしない。
「訶黎勒」の効能は、不消化の変成物を速やかに下(くだ)し、鬱屈した胸隔(きょうかく)の悪しき気の結滞を鮮やかに破るものであるによって、嶺南にては茶の如くに煎(せん)じ、常に客にもてなすとも聴いて御座る。天竺にても、特に妙薬として用いる薬であるによって、伝来の古き仏典の「金光明経(こんこうめいきょう)」にも、熱病を快癒する薬として用いる、ということをはっきりと載せて御座る。
耳嚢 巻之八 完