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2014/09/25

耳嚢 巻之九 上手の藝其氣自然に通る事――電子化始動記念 附 謡曲「葵上」全曲

耳嚢 卷之九

 

 上手の藝其氣自然に通る事

 

 明和安永より天明の頃まで專ら亂舞(らつぷ)の上手と唱へし、金春太夫(こんぱるたいふ)、脇師(わきし)寶生新之丞(ほうしやうしんのじよう)兩人の事を人の語りけるは、金春太夫或時葵の上の能の時、新之丞脇をなせしが、葵の上のシテきぬをかづき、両手に持(もち)て立(たち)かゝりし有樣、面は見えざれども、襟元よりぞつとせし由。金春は上手成(なり)と、新之丞申(まうし)ける由。其頃の事にてありしか、怨靈事にて新之丞珠數押しもみて祈りしに、自然とシテの頭へ響(ひびき)、頭痛のごとく覺えける。新之丞はわきの名人なりと、金春かたりしと也。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:卷之八末尾との連関はない。お馴染みの能役者の芸譚。短いが、個人的に非常に好きな話柄である。私の観た数少ない能の中でまさにこの金春流の「道成寺」の乱拍子を忘れられないのである。……あの時、私はまさに息を呑んで見、苦しくなって息をしたのを思い出す。……まさに能役者にドゥエンデが降りた時、観客も呑み込まれて、狂言方の一人となって、真に慄然とするのである。……「道成寺」は――役者を志したこともある私の観劇史の中の辛口印象にあっても――

――アントニオ・ガデスの「血の婚礼」

――転形劇場の「水の駅」

に並ぶ、数少ない忘れ難き震撼の目くるめく名舞台、いや、超自然の異空間であったと断言する。……

・「明和安永より天明の頃」西暦一七七二年から一七八九年。「明和」は一七六四年から一七七一年、「安永」は一七七二年から一七八〇年、「天明」は一七八一年から一七八九年にほぼ相当する。

・「亂舞」「らんぶ」と読んでもよい。狭義には中世の猿楽法師の演じる舞、また、近世では能の演技の合間に行われる仕舞などをいったが、ここは広義の能の意。

・「金春太夫」岩波版長谷川氏注によれば、金春信尹(のぶただ)とする。彼については「耳嚢 金春太夫の事」で底本の鈴木氏の注に金春十次郎信尹(天明四(一七八四)没)が出、これは先の「明和安永より天明の頃」に一致する。リンク先の私の注を見て戴くと分かるが、「古今の名人」と称されるに足る稀代の能役者であった。生年が分からないのが残念であるが、感触としては「寶生新之丞」よりも年上であろう。

・「脇師」能楽でワキの役を演ずる者。脇太夫(わきたゆう)。

・「寶生新之丞」宝生英蕃(ほうしょうひでしげ 宝永七(一七一〇)年~寛政四(一七九二)年)のこと。宝生流能役者ワキ方。四世新之丞。享年八十三歳。

・「葵の上」「源氏物語」の「葵」の帖に取材したもので、世阿弥が手を入れた古作の能とされる。主題の傑出さ・詞章や作曲の流麗さ・演出の変化のどれをとっても謡曲中人気第一の曲である。シテは六条御息所の生霊であって、題となっている葵の上自身は一切登場せず、彼女は生霊に祟られて寝込んでいることを、舞台正面先に延べられた一枚の小袖(「出し小袖」という)で表現するという能ならではの演出がなされる。ウィキの「葵上」によれば、『六条御息所は賀茂の祭の際、光源氏の正妻である葵の上一行から受けた侮辱に耐え切れず、生霊(前ジテ)となって葵上を苦しめているのである。薬石効なく、ついに修験者である』横川(よがわ)の小聖(こひじり)が呼ばれて祈禱が始まると、『生霊は怒り、鬼の姿(後ジテ)で現われるが、最後は般若の姿のまま、法力によって浄化される場面で終わる』というシノプシスである。最後に調伏された後、改めて御息所の魂が迷妄から得脱するというクライマックスが用意されており、原作とは激しく異なった頗る戯曲的な構成を持つ。なお、この注を書くためにも参考にさせて戴いた増田正造氏の「能百番 上」(平凡社一九七九年刊)によると、改作の結果、『当初前シテに伴って出ていた青女房の生霊の役が、舞台に登場しなくなっているのに、その謡をすべてツレに謡わせているため、戯曲的には混乱がある』とある。詞章を読む限り、確かにそれは疑問として感じた。実は私は生の本作の舞台を見たことが残念なことに、ないために、この新之丞が心底慄っとしたという決定的シーンが作中の何処であるかを明確に指示出来ないという痛恨の恨みがある。しかし、だからといってこの注をこのままに終わらせる訳にはいかない。……それは言うなら……御息所の執念のようなものである。……そこで、まずは、

――「葵上」本文(ほんもん) これ 掲ぐるに若くはなしてふ思ひを遂げざること能はず――

である(以下を読むのが面倒な方は個人サイト「和子 源氏物語」のこちらに、詞章と現代語訳などが載る)。

 本文の基準底本は新潮日本古典集成伊藤正義校注「謡曲集 上」のそれに拠り乍ら、恣意的に正字化し、読み表記も歴史的仮名遣とした。表記の一部も変更・省略(形(かた)の名その他)してある。特に読みは私が振れるものと判断したもののみに限り、初出の読みに変更のない場合は、再掲された語にはつけていない。底本の伊藤正義氏によるト書き部分は、それを参考にしつつ、【 】で一部を少しいじったものを出してある(著作権上の問題があるが、ここではどうしても考証に必要なので敢えて以上のようにした)。禁欲的に底本の頭注やネット上の「能楽用語事典」などを参考にしながら注を挟んだが、故実の基づく部分(例えば冒頭の「三つの車にのりの道 火宅の門(かど)をや出でぬらん」が、羊と鹿と牛に牽かせた三つの車が仏法の教えの換喩で、それに乗って火宅(迷いの世界)から解脱したという「法華経」に基づく章句でありながら、実は牛車に乗って登場する六條御息所生霊のその怨執の深さを逆に表象するものであることなど)などは底本注その他をお読み戴きたい。登場人物は以下の通り。

 

前シテ  上﨟 実は 六条御息所(ろきじょうのみやすどころ)生霊

後シテ  鬼女 六条御息所生霊

ワキ   横川の小聖

ワキツレ 朱雀院の臣下

ツレ   梓巫女(あずさみこ)たる照日(てるひ)の巫女(みこ)

アイ   左大臣の従者

 

[やぶちゃん注:梓巫女は、巫女の名称で、実際には関東地方から東北地方にかけて分布する。梓弓は万葉の古えより霊を招くために使われた巫術のための呪具で、この弓の弦を鳴らしつつ、「カミオロシ」「ホトケオロシ」(口寄せ)をしたことから、「アズサミコ」の名がおこった。津軽地方の「イタコ」は「いらたか念珠」を繰ったり、弓の弦を棒でたたいたりしてトランス状態になる。また、陸前地方の巫女である「オカミン」は「インキン」と称する鉦(かね)を鳴らしつつ入神する(以上は平凡社「世界大百科事典」に拠る)。「いらたか」は「葵上」本文にも出る語であるが、同じく「世界大百科事典」には、「最多角」「伊良太加」「刺高」などと書き、角(かど)のある百八つの珠を用いた数珠のことで、主に修験者が使用する。通常、仏教では数珠を揉む際には音を立ててはならないとされているが、修験道にあっては悪魔祓いの目的で読経や祈禱の際、この数珠を両手で激しく上下に揉んで音を立てる。「いらたか」とは角が多い意だ、とする説もあるが、一般には揉み摺る音の高く聞こえることに由来するとされる、とある。]

 

   *

 

 葵上

 

【後見、舞台正面に小袖を広げて敷く。ワキツレ、アイを従えて登場、常座に立つ】

ワキツレ

「そもそもこれは朱雀院(しゆじやくゐん)に仕へ奉る臣下なり さても左大臣のおん息女 葵上(あふひのうへ)のおん物(もの)の怪(け) もつての外にござ候ふほどに 貴僧高僧を請(しやう)じ申され 大法秘法(だいほふひほふ)醫療さまざまのおん事にて候へども 更にその驗(しるし)なし ここに照日の巫女と申して 隱(かくれ)なき梓の上手の候ふを召して 生靈死靈(いきりやうしりやう)の間(あひだ)を梓に掛けさせ申せとのおん事にて候ふほどに このよしを申し付けばやと存じ候

ワキツレ

「いかに誰(たれ)かある 照日の巫女を召して參り候へ」

【アイ、ツレを呼び出し、ツレ、登場して脇座に着座】

【「アヅサ」の囃子(本作に特長的な霊が憑依した梓巫女を表現するもの)始まる】

ツレ【着座のまま】

〽天淸淨(てんしやうじやう)地淸淨 内外(ないげ)淸淨 六根淸淨

〽寄り人(びと)は 今ぞ寄り來る長濱の 蘆毛(あしげ)の駒に 手綱搖り掛け

【「一セイ」(シテが登場する直後などに謡われる短い謠)でシテ登場、一ノ松に立つ。】

シテ【正面へ向き】

〽三つの車にのりの道 火宅の門(かど)をや出でぬらん

〽夕顏の宿の破(や)れ車 【涙を押さえつつ】遣る方なきこそ悲しけれ

【「アシライ」(「会釈」と表記。多様な場面で用いる能用語で基本的には「応対する」の意。演技では相手に身体を向けて正対する所作を、囃子方の用語ではその場の状況を見ながら比較的柔軟に付かず離れずの伴奏をすることをいう。ここは後者)で舞台に入る。】

シテ【常座に立ち】

〽憂き世はうしの小車(おぐるま)の 憂き世はうしの小車の 廻(めぐ)るや報ひならん

シテ【正面へ向き】

〽およそ輪廻は車の輪のごとく 六趣四生(ろくしゆししやう)を出でやらず 人間の不定(ふぢやう)芭蕉(ばせを)泡沫(はうまつ)の世の慣(な)らひ 昨日の花は今日の夢と 驚かぬこそ愚かなれ 身の憂きに人の恨みのなほ添ひて 忘れもやらぬわが思ひ せめてやしばし慰むと 梓の弓に怨靈(をんりやう)の これまで現はれ出でたるなり

シテ【面を伏せ】

〽あら恥かしや今とても 忍び車(ぐるま)のわがすがた

シテ【正面へ向き】

〽月をば眺め明かすとも 月をば眺め明かすとも 月には見えじかげろふの 梓の弓のうらはずに 【葵上に迫る体(てい)】立ち寄り憂きを語らん 立ち寄り憂きを語らん

シテ【右を向き、音を聴く体】

〽梓の弓の音(おと)はいづくぞ 【正面を向いてなお音を聴く】梓の弓の音はいづくぞ

ツレ

〽東屋(あづまや)の 母屋(もや)の妻戸(つまど)に居たれども

シテ

〽姿なければ 【涙を押さえる】問(と)ふ人もなし

ツレ【シテへ向き】

〽不思議やな誰とも見えぬ上﨟(じやうらふ)の 破(やぶ)れ車に召されたるに 靑女房と思しき人の 牛もなき車の轅(ながえ)に取りつき 【シテ、何度も涙を押さえる】さめざめ泣き給ふ痛はしさよ

ツレ【ワキツレに向かい】

「もしかやうの人にてもや候ふらん」【ワキツレには見えない】

ワキツレ【ツレを向き】

「大方は推量申して候 ただ包まず名をおん名乘り候へ」【シテ、涙を押さえていた手を下して、真中へ出る】

シテ【真中で小袖を見まわしつつ、坐す】

〽それ娑婆電光(しやばでんくわう)の境(さかひ)には 恨むべき人もなく 悲しむべき身もあらざるに 【涙を押さえ】いつさて浮かれ初(そ)めつらん【ツレ、シテへ向く】

シテ【着座のまま】

〽ただいま梓の弓の音に 引かれて現はれ出でたるをば 如何なる者とか思し召す 【シテ、ツレへ向く】これは六條の御息所(みやすどころ)の怨靈なり【ツレ、ワキツレへ向く】 われ世に在りしいにしへは【ワキツレ、ツレへ向く】 雲上(うんしやう)の花の宴(えん) 春の朝(あした)の御遊(ぎよいう)に馴れ 仙洞(せんとう)の紅葉(もみぢ)の秋の夜は 月に戲(たはぶ)れ色香(いろか)に染(そ)み 花やかなりし身なれども 衰へぬれば朝顏の 日影待つ間(ま)の有樣なり【面を伏せる】 ただいつとなきわが心【じっくりと面を上げ】 ものうき野邊(のべ)の早蕨(さわらび)の 萌え出で初めし思ひの露 かかる恨みを晴らさんとて これまで現はれ出でたるなり【シテはツレへ、ツレはワキツレへ向く】

〽思ひ知らずや世の中の 情は人のためならず

地【シテ、正面を向く】

〽われ人のため辛(つら)れければ われ人のため辛(つら)れければ 必ず身にも報ふなり【シテ、面を伏せるが】 なにを歎くぞ葛(くず)の葉の【キッと腰を上げて小袖を見据え】 恨みはさらに盡きすまじ 恨みはさらに盡きすまじ【腰を下ろして涙を押さえる】

シテ【涙を押さえた手を下ろし】

〽あら恨めしや。「今は打たでは叶ひ候ふまじ【腰を上げて小袖を見込み】

ツレ【座のまま、シテへ】

〽あらあさましや六條の御息所ほどの御身にて 後妻(うはなり)打ちのおん振舞ひ いかでさる事の候ふべき ただ思し召し止(と)まり給へ

[やぶちゃん注:「後妻打ち」前妻(こなみ)が後妻(うわなり)を嫉妬して打ちたたくこと及び、暗黙のうちに許容されていたそうした習俗を指すが、能の成立した室町期には、離縁になった先妻が後妻を妬んで親しい女たちと隊を組み、後妻の家に押しかけて乱暴狼藉を働く風習に発展している。そうした当代の習俗をも踏まえての謂いと考えてよかろう。]

シテ【シテ、ツレに向かい】

「いやいかに言ふとも 今は打たでは叶ふまじと【立ってツカツカと小袖に近づき】 枕に立ち寄りちやうど打てば【扇を以って打ち、常座へ戻って立つ】

ツレ

〽この上はとて立ち寄りて わらはは後(あと)にて苦(く)を見する

シテ

〽今の恨みはありし報ひ

ツレ

〽嗔恚(しんい)の炎(ほむら)は

シテ

〽身を焦がす

ツレ

〽おもひ知らずや

シテ

〽思ひ知れ【扇で小袖を指し、足拍子を踏む】

〽恨めしの心や【シテ、また数拍子を踏む】 あら恨めしの心や 人の恨みの深くして【目付へ出て】 憂き音(ね)に泣かせ給ふとも 生きて此世にましまさば【廻りながら扇を広げ】 水闇(くら)き澤邊(さはべ)の螢の影よりも【扇を翳して螢を追って見廻し】 光る君とぞ契(ちぎ)らん【正面の彼方を眺め】

シテ

〽わらはは蓬生(よもぎふ)の【扇を撥ね揚げ、騒ぐ心で】

〽本(もと)あらざりし身となりて【シテ、舞台を廻り】 葉末(はずゑ)の露と消えもせば それさへ殊に恨めしや【シテ、常座で恨みの心を嚙み締め】 夢にだに【シテ、数拍子】 返らぬものを我が契り【大小前から小袖の前へ進み】 昔語(むかしがた)りになりぬれば なほも思ひは増鏡(ますかがみ)【小袖を見廻し、舞台を廻り】 その面影も恥かしや【扇を抱えて面を隠す】 枕に立てる破(や)れ車【扇を捨て】 うち乘せ隱れ行かうよ うち乘せ隱れ行かうよ【真中へ出て小袖を見つめて魂を奪う体にて、着ている唐織(からおり)を被き、小袖に覆い被さって、そのまま、身を伏せ、後見座に行く】

[やぶちゃん注:「唐織」女役に用いる小袖の表着(裏地がついた袷)で能装束を代表する豪華絢爛なもの。]

【物着(次の段の間に後場の扮装を整える)】

ワキツレ

「いかに誰かある

アイ【真中で膝まずき】

「おん前に候

ワキツレ

「葵の上のおん物の怪いよいよ以ての外に御座候ふほどに 横川(よかは)の小聖(こひじり)を請じて來たり候へ

アイ

「畏(かしこ)まつて候

アイ【常座に立ち】

「やれさて 葵の上のおん物の怪 やうやうご本復(ほんぷく)なさるるかと存じたれば ご違例もつての外(ほか)な まづ急いで横川へ參り 小聖を請じて參らうと存ずる

アイ【一ノ松に立ち】

「いかにこの屋(や)の内へ案内し候

ワキ【幕を出、三ノ松に立ち】

〽九識(くしき)の窓の前 十乘(じふじやう)の床(ゆか)のほとりに 瑜伽(ゆが)の法水(ほつすゐ)を湛へ 三密(さんみつ)の月を澄ますところに 案内申さんとはいかなる者ぞ

アイ

「大臣(おとど)よりのおん使ひに參じて候【膝まづいて】 葵の上のおん物の怪 もつての外にござ候間 おん出でなされ加持ありて給はり候へ

ワキ

「この間は別行(べつぎやう)の子細あつて いづかたへも罷り出でず候へども 大よりのおん使ひと候ふほどに やがて參らうずるにて候

[やぶちゃん注:「この間は別行の子細あつて」この度は特別の修法(ずほう)を執り行っておったがために。]

アイ【舞台に戻り、ワキツレに】

「小聖を請じ申して候

ワキツレ【その場に立ち、ワキへ】

「ただいまのおん出でご大儀にて候

ワキ【常座に立ち】

「承り候。さて病人ないづくにござ候ふぞ

ワキツレ

「あれなる大床(おほゆか)にござ候

ワキ【小袖を見て】

「さらばやがて加持(かぢ)し申さうずるにて候

ワキツレ

「畏まつて候

【ワキツレは着座、ワキは大小前にて膝ずいて数珠をとり出して祈禱の準備を整える】

【「ノット」(祝詞(のりと)の意。神職や巫女の役が神を祭って祈るときに神前で謠うもの。本職の祝詞に似せたものともいわれ、謠では低音域を中心に拍子に合わせずに謠う。「ノット」を謠う際に奏する囃子方の手組(リズムとパターン)も同じ名称で、小鼓が拍を刻むように打ち続けるのが特徴的で、笛と大鼓が入る)の囃子が始まるとワキは真中へ出でて小袖の前に着座】

【ワキの謠が始まるとシテは唐織を被いて舞台に入り、ワキの後ろへ出て身を伏せる】

ワキ

〽行者(ぎやうじや)は加持に參らんと 役(えん)の行者の跡を繼ぎ 胎金両部(たいこんりやうぶ)の峰を分け 七宝(しつぱう)の露を払ひし篠懸(すゞかけ)に 「不淨を隔つる忍辱(にんにく)の袈裟(けさ) 赤木(あかぎ)の數珠(じゆず)のいらたかを さらりさらりと押し揉んで ひと祈りこそ祈つたれ 曩謨三曼縛曰羅赦(ナマクサマンダバサラダ)

【シテ、身を起こしてワキを見込み、ワキがシテに向かって祈ると身を伏せる】

【「祈リ」(怒り狂う鬼女(シテ)に対して僧又は山伏(ワキ)が法力で対抗、鬼女が祈り伏せられるまでをあらわす働き事(囃子を伴う所作のこと)の一つ。笛・小鼓・大鼓・太鼓で奏する。特に、太鼓が打つ「祈リ地」という手組と、ワキが数珠を擦って祈り続ける音が「祈リ」の雰囲気を作り出す)】

【シテ、立つ。鬼女の姿。唐織を腰に巻き、打杖(うちづえ:能では鬼・天狗・龍神などが神通力などを使うために持つ杖。)を振り上げ、ワキの祈りに対抗、一進一退の後、シテは葵上(小袖)に憑りつこうとするも、ワキがそれを数珠で打ち据えて、シテは膝をつく】

シテ【打杖を逆に構えて】

〽いかに行者はや歸り給へ 歸らで不覺し給ふなよ

ワキ

〽たとひ如何なる惡靈なりとも 行者の法力(ほふりき)盡くべきかと 重ねて數珠(じゆず)を押しもんで

【シテ、立ち上がる。以下、謠に合わせ、争いが続く】

ワキ

〽東方(とうばう)に降三世明王(がうざんぜみやうわう)

シテ

〽南方軍荼利夜叉(なんばうぐんだりやしや)

ワキ

〽西方大威德明王(さいはうだいゐとくみやうわう)。

シテ【数拍子】

〽北方(ほつぱう)金剛

〽夜叉明王

シテ【足拍子】

〽中央大聖(ちうあうだいしやう)

〽不動明王 曩謨三曼陀縛曰羅赦(ナマクサマンダバサラダ) 旋陀摩訶嚕遮那(センダマカロシヤナ) 娑婆多耶吽多羅※干*(ソハタヤウンタラタカンマン) 聽我説者得大智慧(チヤウガセツシヤトクダイチヱ) 知我身者即身成佛(チガシンシヤソクシンジヤウブツ)

[やぶちゃん字注:「※」=「口」+「乇」。「*」=「牟」+「含」。]

【シテ、ワキへ打ちかかる。しかし敗退し、常座に安座、打杖を、捨てる】

シテ【両手で耳を塞ぎ】

〽あらあら恐ろしの 般若聲(はんにやごゑ)や

地【シテ、ワキへ向き】

〽これまでぞ怨靈 この後(のち)またも來たるまじ

地【シテ、広げた扇をはね掲げつつ立ち】

〽讀誦(どくじゆ)の聲を聞くときは 讀誦(どくじゆ)の聲を聞くときは 惡鬼(あくき)心を和らげ 忍辱慈悲の姿にて 菩薩もここに【シテ、足拍子】來迎(らいがう)す 成佛得脱(じやうぶつとくだつ)の【シテ、常座で合掌して】 身となり行くぞありがたき【シテ、脇正面を向いて留拍子】 身となり行くぞありがたき

 

   *

 

 さて、幸い、私には、金春流の謠を習った教え子がいる(因みに彼は、私に先に示した驚愕の金春の「道成寺」へと招待して呉れた人物でもある)。そこで、本「耳嚢」の前半の「葵上」のシーンを読んで貰い、決定的なその箇所について考察して貰った。以下、それを本人の承諾を得て引用しておく。

 

   《引用開始》

 

 金春太夫(シテ)が、『きぬをかづき、両手に持て立かゝり』『面テは見え』ない状態なのに新之丞(ワキ)をぞっとさせた場面。それは、物着(一曲の前半と後半を分ける扮装変えの場面)の直後、シテの生霊とワキの横川の小聖の死闘が始まる段以外には考えられません。本性をあらわしたシテを、ワキが初めて眼にする瞬間です。それは、祈りの言葉が響く中でシテがゆっくり顔を上げたその一瞬のことでしかありません。しかも唐織の陰に隠された般若の面相は、ワキの眼にはっきり映らない。衣を被ぎ、両手に持って立ちかけたその姿の奥、暗い翳のうちに、ただ襟元が鈍く光るばかりです。顔も見えないのに、唐織の翳に恐ろしいものが潜んでいることが体感され、背筋を凍らせる――まさに……ここです。詞章で言いましょう。下記の段です。

 

ワキ

〽赤木(あかぎ)の珠數(じゆず)のいらたかを さらりさらりと押しもんで ひと祈りこそ祈つたれ 曩謨三曼縛曰羅赦(ナマクサマンダバサラダ)

【シテは身を起こしてワキを見込み、ワキがシテに向かって祈ると身を伏せる】

 

 この決定的な箇所が、いかなる緊張状態のうちに到来するかを知らねばなりません。次のような展開が前提にあります。怨霊折伏のために横川の小聖が呼ばれ、祈祷を依頼する云々のやり取りが進行する中、シテは後見座の前(舞台の左奥)で唐織を引き被ったまま後ろを向き、後見の助けを借りて面を泥眼から般若に掛け替えます。生霊が本性をあらわす準備です。直後に祈禱が始まります。と同時に、舞台の左奥で背中を向けて蹲っていたシテがゆっくりと腰を上げます。といっても唐織を被った姿勢を崩さず、上半身は屈んだままです。そうして、おもむろに正面に向き直ります。能の体捌きというものは身体の軸を滅多なことで捻ってはなりません。身体ごと彫像のようにゆっくり前に向き直るのです。そのあと、上体を伏せたまま、じわりじわりと前に出てきます。その間、唐織を引き被ったままですので、般若の面は衣の陰に隠れてまず見えません。何だか分からないけれども恐ろしいものが、病人と、横川の小聖と、そして我々にゆっくり着実に近づいてくるのです!そうして臥せっている葵上のすぐ手前、すなわち横川の小聖のすぐ横に達し、再び蹲ります。私が上記の通り同定した「葵上」の決定的な箇所は、これに続くものなのです。

 

 私は思います。能は、孤独な個々の見者に対し、強烈な自己投影を求める芸能だと。六条御息所の生霊がその鬼相をあらわし、臥せっている葵上に襲い掛かります。寝込んでいる葵上は舞台に置かれた小袖で表現されますので、そのつもりで観ないと何のことやらわかりません。また、六条御息所の生霊が病人と小聖に近づいてくるのも、ぼんやり眺める迂闊な観客にとっては、単に衣を被り顔を隠した鬼がゆっくり前に出てくるだけです。ところが、衣を引き被ってゆっくり近づいてくる顔の見えないシテを、憎悪と嫉妬と哀しみに凝り固まった人間であると信じて凝視し続ける。すると舞台上のシテが、情念そのものに感じられてくるはずです。そして、はっと気づくのです。自分が目前にしている何か恐ろしいものは、六条御息所であると同時に、実は自分のこころの中の憎悪、嫉妬、哀しみの投影なのだと。シテは別に何か派手な動作をするわけではない。決して喚いたり、激しい立ち回りを演じたりしない。ただ単に、しかし揺るぎなく立っているシテ……。そして……だからこそ、です。観る者が全力でシテに自分をぶつけたとき、どんなに恐ろしく、美しく、哀しい情念そのものが、舞台上にゆらりと立ち現れるか!――そう、能を観るとは、恐らく、舞台に映る自分のこころを観ること、なのです……。

 能は、あからさまに表現しようとしない瞬間にこそ、深い表現が成立することが多い。「井筒」に居グセという、シテが動かない一段があります。そこに匂い立つ懐旧の情趣たるや、シテが井戸の水鏡を覗き込む一曲のクライマックスに決して引けを取りません。また、「頼政」で床几に腰掛けたシテが合戦の物語をする場面があります。彼はただじっと座り昔を語るだけです。それなのに、見者の眼には飛び交う矢が見え、阿鼻叫喚の怒号が聞こえることがあります。何という深い表現! そうして、ひとつの極北の表現としての、「道成寺」(新之丞の祈りが金春太夫の魂に届いたという後半のエピソードに、私は金春流の「道成寺」を思いました)の乱拍子。長い長い無音の中に凝然と立ち尽くす白拍子……胸の内で恋心と執心と怒りがごちゃ混ぜになって、気も狂わんばかりの極めて激しい渦を巻いています。それにも関わらず、彼女の舞たるや……! 逆説的に全く微動だにしません。そうして、見る者は気づくのです。いつの間にか舞台の上に、人を死に誘うほど純粋で強烈な情念が、すっくと佇立していることに……。

 

   《引用終了》

 

 メールとともにリンクされてあったのが、中文動画サイト(彼は現在、北京在住)の喜多であった(調べてみると当該シーンはないものの、金春流の「葵上」の超短縮版がやはり中文動画サイトのにあった)。

 当該詞章は10:50辺りから始まる。

 11:15辺りで唐織を被ったシテが起き上がり始めるが、この間、ワキ僧は小袖を前にして正先に座位で修法を修している。

 惜しいことに11:27辺りでカメラがシテをアップにしてしまうのでよく分からないのだが、その直後に画面の右端をワキ僧の袖が翻るのが見える。

 シテはカメラがアップで照明も明るいため、視聴している我々にははっきりと鬼女の面が見えてしまうが、ワキ僧の立ち位置(次にカメラが引くと座って中腰で修法をしているから、振り返った際のワキ僧の視線位置は明らかに唐織より上であると考えられる)及び当時の暗い舞台から考えると、ワキ僧にはまさに「襟元面テは見えざれども、襟元」しか見えなかったと考えてよかろう。私と教え子は遂に「寶生新之丞」が「金春太夫」演ずる「葵の上」の六条御息所の「シテきぬをかづき、両手に持て立かゝりし有樣、面テは見えざれども、襟元よりぞつと」したと述懐するその瞬間を同定し得たのであった。

 

・「怨靈事」能で怨霊をテーマとする曲、強いそれを示す怨霊面を用い、ワキ僧によって調伏が行われる曲とすれば、この「葵上」以外では「道成寺」「黒塚」辺りであろう。わざわざこう語っているところをみると、これは同じ「葵上」ではないと考えるのが自然である。私個人としては偏愛する「道成寺」に違いないと勝手に思っているのである。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 上手の芸にはその超自然の気が自然と通うという事

 

 明和・安永より天明の頃まで、専ら乱舞(らっぷ)の上手と称えられた、金春太夫(こんぱるたいふ)と、その脇師(わきし)をつとめたることの多御座った宝生新之丞(ほうしょうしんのじょう)両人のことにつき、さる御仁の語ったことで御座る。

 

……金春太夫がある時、「葵上(あおいのうえ)」を舞われた折りのこと。

 新之丞殿がそのワキ僧をなして御座ったが、葵の上のシテが衣を被(かつ)ぎ、両手に持って立ちかけた――

――その瞬間

――その時のワキ僧役新之丞殿の位置からは、これ、面(おもて)は全く見えず御座ったにも拘わらず……

「……あの時……シテの襟元を見ただけで――我ら、まさしく、生涯に感じたことがないほどに、これ――慄っと――致しまして御座います。……」

としみじみと語られたかと思うと、

「――いや! 金春殿は――これ、まっこと!――能の上手――にて御座る!――」

と、きっぱり申されたそうな。……

 

……はたまた……その同じ頃のことででも御座ったものか……

 

……怨霊事の能舞台にて、ワキ僧を演じておられた新之丞殿が、金春太夫演ずるところのシテ怨霊へ向かい、一心に数珠を押し揉んで祈る場面の、これ、御座った。

 舞台のはねて、下がってこられた金春太夫は、お傍のお付きの者に、

「……いや! 自然、シテの我らが頭(こうべ)へ……かのワキ僧の数珠の音(ねぇ)が……これ――シャァラ! シャラ! シャッツ! シャラッ! シャアラ!――と――響きに響いて、のぅ!――我が頭(ず)の芯(しん)を、痛とぅ貫く如――感じて御座ったわ!……」

と申さるるや、

「――いや! 新之丞は――これ、まっこと!――名能ワキ師――にて御座る!――」

と、如何にも感心なされたと申す。

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