今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 84 義仲の寢覺の山か月悲し
本日二〇一四年九月二十七日(当年の陰暦では九月四日)
元禄二年八月 十四日
はグレゴリオ暦では
一六八九年九月二十七日
【その三】芭蕉偏愛の木曽義仲が平家方を打ち破った砦の跡、燧(ひうち)が城を遠望しての吟詠。湯尾峠東南方(現在の南越前町今庄)にあり、敦賀へ進行する芭蕉の右手に見えた。
燧山(ひうちやま)
義仲の寢覺(ねざめ)の山か月悲し
[やぶちゃん注:「ひるねの種」。
峠越えが夜であったとは思われないから、この句は昼の景から時間を巻戻って陣中の義仲を詠んだ時代詠である。「平家物語」巻七「燧合戦」に詳しい。但し、この義仲平家追伐の緒戦に於けるここの城築を命じたのは義仲であるが、自身はまだその時には信濃にいたので注意されたい。孰れにせよ、破竹の勢いで南下した義仲がこの営中に辿りついた頃には、まさに寝覚めの名月を賞する余裕もあったに違いなく、しかしその英雄の兵(つわもの)も、みるみる夢の跡として露の如くに消えいったことを思えば、まさに芭蕉の「月悲し」はしみじみと生きてくるとは言える。「奥の細道」で何故か、語らなかった自身の愛する悲劇の英雄義仲の一句である。思い入れは伝わるものの、「寢覺」と「月悲し」の衝突が上手くいっておらず、句力が分散してしまい、義仲へのオマージュたり得ていないと私は思う。]
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