日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十五章 日本の一と冬 注連飾りいろいろ
図―480
図―481[やぶちゃん注:右端の図。]
図―482[やぶちゃん注:右から二番目の図。]
図―483[やぶちゃん注:左上方の図。]
図―484[やぶちゃん注:左下方の図。]
図―485
図―486
新年用の装飾品は稲の藁で出来ていて、いろいろな方法にひねったり、編んだりしてある。それ等を家の入口の上と、家庭内の両の上とにかける慣(ならわし)がある。意匠の多くは美しく、そのある物は構造上に多分の手並を示している。最も意匠が美しくまた最も普通なものの一つは、図480に示したものである。現物は長さ二フィート以上、下に下った部分は三フィートもあった。捲いた場所は舟を現しているらしいが、若し然りとすれば、この舟の墳荷は、稲の藁でつくった球三箇、松の小枝、及び鮮紅色の漿果(み)若干である。下には稲の束がすこし下り、球の極には小さな金被せの葉がつき立ててあり、全体として華美で人の目を引く。別の物(図481)は藁の花輪で、稲の束と藁とが下っている。図482は戸の上にかける物で、藁をより合せて、最後に一つの点にまで細くしたものである。これ等のある物は、長さ六フィートに達し、この形式は神道の社でよく見受ける。図483は戸口の上にかける流蘇(ふさ)、図484は五インチの距離をおいて繩の股(こ)が一つ下るように撚った、藁繩である。これは、巨大な玉総(たまふさ)のように捲いておくが、捲きを戻して部屋の側壁にかけ、象徴的な形に切った白い紙を、垂下する股の間々で、縄に結びつける。ある場合、この種の装飾は、非常に手が込んでいる。図485は門の上にかける、複雑な構造物を現す。中央には乾燥した海藻を下につけた海老、その両側には乾した柿があり、羊歯(しだ)の葉を懸垂させ、神道の様式に切った紙をつけ、そして全部が松の木によって支持される。色を使わないで、その花々しい外見を示すことは困難である。図486は、門の前にある装飾を示している。濃緑色の切り竹は高さ十二フィートで、巨大な風琴管(オルガン・パイプ)のように見えた。これ等は松の小枝の群叢から聳え立ち、底部は藁繩でしっかりとくくられ、下には奇麗に盛土がしてあって、その土の散逸を防ぐ為に、藁の環があった。
[やぶちゃん注:注連繩(しめなわ)・注連飾りのいろいろである。ネット上の諸データ(グーグル画像検索「注連縄 種類」で出るもの)を参考に解説しておく。
●図480は一般には神棚に附けるさいに附される前垂れ附きの「鼓胴注連(つづみどうじめ)」と呼ばれるものに蓬莱が載ったもので、この太いタイプで一方が細くなっているもの(私のいる神奈川では「一文字」と呼ばれる。通常は向かって左が細くなるが、伊勢神宮のある三重県伊勢地方では逆向きになる)は「大根注連(だいこんじめ)」と呼ばれる。
●図481は「輪注連(わじめ」「輪飾り」と呼ばれるもので、東日本でよく玄関先に見られる。
●図482は図480に類するものを立てに描いたものであるが、これは有意に細いので「牛蒡注連(ごぼうじめ)」と呼ばれるものである。
●図483は注連縄の種類というよりも豊穣を齎す雨を模した注連縄の下に下げる藁の「〆(しめ)の子」と呼ばれるものであるが、これにやはり雨を齎す雷を模した例の紙垂(かみだれ。モースが言う「象徴的な形に切った白い紙」のこと)を間に垂らした簡素なタイプも一般的によく見られる。
●図484は一見奇体だが、これはどうも、先の「大根注連」とそれに付随させて垂らす〆の子を附けた本体に横に並行して配すべきそれを、製造した際の置かれたままに描いたもののように私には見える。そうでなく特殊なものであるのであれば、是非とも御教授を乞うものである。
●図485かなり豪勢だが、これが一番我々にとって馴染みのある注連飾りである「玉飾り」あろう。
注連繩は無論、正月飾りだけではない。ウィキの「注連縄」によれば、『現在の神社神道では「社(やしろ)」・神域と現世を隔てる結界の役割を持つ。また神社の周り、あるいは神体を縄で囲い、その中を神域としたり、厄や禍を祓ったりする意味もある。御霊代(みたましろ)・依り代(よりしろ)として神がここに宿る印ともされる。古神道においては、神域はすなわち常世(とこよ)であり、俗世は現実社会を意味する現世(うつしよ)であり、注連縄はこの二つの世界の端境や結界を表し、場所によっては禁足地の印にもなる』。『御旅所や、山の大岩、湧水地(泉水)、巨木、海の岩礁の「奇岩」などにも注連縄が張られる』。『また日本の正月に、家々の門や、玄関や、出入り口、また、車や自転車などにする注連飾りも、注連縄の一形態であり、厄や禍を祓う結界の意味を持ち、大相撲の最高位の大関の中で、選ばれた特別な力士だけが、締めることができる横綱も注連縄である。現在でも水田などで雷(稲妻)が落ちた場所を青竹で囲い、注連縄を張って、五穀豊穣を願う慣わしが各地に残る』。日本神話では『天照大神が天岩戸から出た際、二度と天岩戸に入れないよう太玉命が注連縄(「尻久米縄」)で戸を塞いだのが起源とされ』、稲作信仰にあって『神道の根幹をなす一つであり、古くから古神道にも存在し、縄の材料は刈り取って干した稲藁、又は麻であり、稲作文化と関連の深い風習だと考えられる』。古神道にあっては、『神が鎮座する(神留る・かんづまる)山や森を神奈備といい信仰した。後に森や木々の神籬(ひもろぎ)や山や岩の磐座(いわくら)も、神が降りて宿る場所あるいは神体として祀られ、その証に注連縄がまかれた』とある。同ウィキの「巻き方・注連方(しめかた)」の項には『縄を綯(な)う=「編む」向きにより、左綯え(ひだりなえ)と右綯えの二通りがある。左綯えは時計回りに綯い、右綯えは逆で、藁束を星々が北極星を周るのと同じ回転方向(反時計回り)で螺旋状に撚り合わせて糸の象形を作』り、『左綯え(ひだりなえ)は、天上にある太陽の巡行で、火(男性)を表し、右綯えは反時計廻りで、太陽の巡行に逆行し、水(女性)を表している。祀る神様により男性・女性がいて、なう方向を使い分ける場合がある』とし、『大きなしめ縄は、細い縄を反時計回り(又は逆)にまわしながらしめ、それを時計回り(又は逆)に一緒にしていく』と記す。また注連飾りの『本来の意義は、各家庭が正月に迎える年神を祀るための依り代とするものである。現在でも注連飾りを玄関に飾る民家が多く見られる。形状は、神社等で飾られる注連縄の小型版に装飾を加えたもので、注連縄に、邪気を払い神域を示す紙垂をはじめ、子孫の連続を象徴するダイダイの実やユズリハの葉、誠実・清廉潔白を象徴するウラジロの葉などのほか、東京を中心にエビの頭部(のレプリカ)などが添付されることが多い』とある。また、『これとは別に、東日本を中心に、長さ』数十センチほどの細い注連縄を直径数センチ程度の『輪形に結わえて、両端を垂らした簡易型の注連縄が広く見られる。これは京言葉で「ちょろ」、東京方言などで「輪飾り」、東海地方などで「輪締め」などと呼ばれている。近畿地方では台所の神の前に飾る程度だが、東日本では、門松に掛ける(東京周辺など)、玄関先に掛ける、鏡餅に掛けるなど、非常に広く用いられる。一般家庭では、本来の注連縄の代用とされる場合も多い』とある。
図486は言わずもがなの門松である。ウィキの「門松」によれば、『門松(かどまつ)とは、正月に家の門の前などに立てられる一対になった松や竹の正月飾りのこと。松飾りとも。古くは、木のこずえに神が宿ると考えられていたことから、門松は年神を家に迎え入れるための依り代という意味合いがある』。『神様が宿ると思われてきた常盤木の中でも、松は「祀る」につながる樹木であることや、古来の中国でも生命力、不老長寿、繁栄の象徴とされてきたことなどもあり、日本でも松をおめでたい樹として、正月の門松に飾る習慣となって根付いていった。能舞台には背景として必ず描かれており(松羽目・まつばめ)、日本の文化を象徴する樹木ともなっている』。『新年に松を家に持ち帰る習慣は平安時代に始まり、室町時代に現在のように玄関の飾りとする様式が決まったと言われる』とある。最近はこれを立てる家も少なくなった(かくいう貧しい私の家では松のか細い枝葉を門に結び付けるだけであるが)。何か寂しい気がするのは私だけか。
「二フィート」六〇・九六センチメートル。
「三フィート」九一・四四センチメートル。
「漿果」の「み」は二字に対するルビ。原文は“berries”。無論、ムクロジ目ミカン科ミカン属ダイダイ Citrus aurantium を指している。
「流蘇」本来は「りゅうそ」と読み、中国の装身具の一種で清代満州族の女性が大拉翅(だいろうし:髪飾りの一種で高くそびえ立つ帽子様のもの)にぶら下げる房をいう。ここは単にそうした垂れ下がった房状に見える「〆の子」を指している。
「五インチ」一二・七センチメートル。
「十二フィート」約三メートル六十七センチ。]